たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

雑誌モデルの時代『セシルのもくろみ』

10年前の小説だが、いわゆる日本の女性誌専属モデルという職業はほとんど虫の息ではないだろうか。
私が日本にいたときも次々と雑誌が廃刊になっていたし、こないだ帰国したときビックリしたのは昔ファッション誌の表紙モデルだった人が母が頼んでいる生協さんのチラシでカーディガンを着ていたこと。それもこの小説に出てくるような共感系の人ならともかく、身長180cm近いショーモデル寄りの高嶺の花系の人(実際ご本人をお見かけしたとき後光が差してた)。インスタやTikTokで何か売ったり、ショップ始めたりする方向じゃなくてモデル稼業を続けていることに感心したけど、それにしても、ねえ...。逆の順ならよかったのに。

「ティラピス」という誤記に目が止まる。地の文ではなく、日米仏のルーツとカタカナのミドルネームを持ち、多少は外国語もできるであろう華やかな美人が「ティラピス」が趣味だというのだ。なんかの皮肉だろうか。

テラスに面したソファに腰を下ろし、奈央はフレーバーティーを飲んでいる。今日はローズヒップとアプリコットのミックスだ。
(中略)
お茶を飲み干し、2杯目を注ぎにソファを立った。キッチンにはなるべく物を置かないようにしている。ポットも専用の棚に収納しているくらいだ。ティーポットからお茶をカップに入れて、またソファに戻ると、空を銀色の飛行機が横切って行った。

選考会といっても、堅苦しさはなく、テーブルには飲み物と、チョコレートやマカロンといったスイーツが置かれている。

夕食はだいたい8時になる。
手の込んだ料理を作っても、智樹は味わうよりおなかを膨らますため、あっと言う間に食べてしまう。栄養のバランスを考えて野菜や魚を出しても、ちっとも喜ばない。リクエストは、カレーかハンバーグかとんかつと決まっている。

週末、久しぶりに家族3人ですき焼きを囲んだ。

とても夕食に手を掛ける気になれず、帰りにスーパーで焼き肉セットを買ってきた。テーブルにホットプレートや食器を用意し、ほっと息をつく。

「そうだ、去年のクリスマス用のシャンパンが1本残ってたっけ」
奈央はキッチンに行き、冷蔵庫の中を覗いた。それはドアの内側に醤油のボトルと並んでいた。
「あった、あった」
いそいそと手にして、ついでにチーズも取り出した。どうせならナッツとドライフルーツも一緒に、と戸棚を開いた。

その夜の夕食時、夫の伸行と息子の智樹の前に並べたおかずを、奈央はなるべく見ないようにした。
食事をずっと控えている。食べるのは野菜の煮付けと海藻サラダとこんにゃく。もちろんダイエットを考えてのことだ。
あれから何とか2キロ落としたが、それからなかなか減らない。間食はやめたし、清涼飲料水はもちろんのこと、コーヒーやハーブティーにも砂糖はいっさい入れてない。それなのに結果が伴わない。
(中略)
ひと口だけでいいから、伸行と智樹が食べているクリームコロッケを食べたい。とろっと濃厚なベシャメルソースを味わいたい。付け合わせにしたコーンのバターソテーも5粒でいいからつまみたい。
「食べれば」
よほど奈央の目が真剣だったのだろう、伸行が呆れたように言った。
「いらない」
奈央はワカメを口にした。もちろんドレッシングはノンカロリーのものだ。
「これくらい食べたって大丈夫だよ」
」そうだよ、おいしいよ、これ」
智樹がこれみよがしに、3個目のクリームコロッケを頬張る。
「いらないんだってば」
「無理しちゃって」
(中略)
あと3キロ、どうやって痩せればいいだろう。朝だって人参ジュースを1杯、昼はこんにゃくラーメンにしているというのに......。

夕食のアスパラガスのベーコン巻きを頬張りながら、智樹があっけらかんと答えた。

到着すると、奈央はすぐに智樹の店を探し当て『キャラメルポップコーン』を買おうとした。しかし智樹は奈央の姿を認めると、照れ臭そうにさっさと裏の方に逃げ込んでしまった。
もう母親が現れて喜ぶ年代ではないのだと実感する。智樹もそれだけ大人になったということだ。寂しいが仕方ない。1袋だけ買ってその場を離れた。

週末、家族揃ってしゃぶしゃぶを囲んだ。
平日、智樹は部活で遅いし、伸行は仕事が忙しく、なかなか3人一緒に食卓を共にできない。久しぶりの家族団らんに、食卓は華やいだ。

「最近、料理も手抜きのような気がするんだけど」
「......今日のしゃぶしゃぶは智樹のリクエストだったから」
とは言え、ここのところ鍋のような材料を揃えるだけで済む食事を用意しがちなのは確かだ。スーパーで買ったお惣菜を並べることも、前より触れている。

ミントティーが運ばれてきて、奈央はカップを手にした。ミントの香りがやけに鼻の奥に沁みる。

伸行や智樹に対して、手抜きが続いていたことへの詫びの気持ちがあった。モデルの仕事が終わった以上、これからは今までの罪滅ぼしの意味も含めて、ふたりにはおいしい食事をたくさん作ろうと決めていた。
今夜は、ウィークデイだというのに伸行から早く帰れるという連絡があり、ますます張り切った。最近メタボを気にしている伸行のために金目鯛の煮つけと茶碗蒸しと白和えを用意し、伸び盛りの智樹にはそれにポークピカタと野菜サラダを加えた。
食卓に着いた伸行は、並んでいる料理を見て「最近、豪勢だなぁ」と、笑った。
「ママのポークピカタ、久しぶり」
智樹は子供らしい声を上げている。
奈央は伸行のグラスにビールを注いでから、ふたりに言った。
「前にも言ったでしょう。モデルの仕事は辞めたんだから、もうお料理の手抜きはしません。ママはとっても反省しています。これからは仕事をきっちりやります」

「あのね、試合、来月だから」
智樹はエビフライを口にしながら、ついでのように場所と日程を口にした。

ホタテのバターソテーを切り分けるナイフとフォークを置いて、奈緒は洵子の顔を見つめ直した。ここは6丁目にある女性に人気のフレンチだ。

背広を脱ぐと、伸行はめずらしく「ウイスキー」と言い、奈央はボトルと水割りセットをテーブルに置いた。夜食はいらないと言うので、チーズとドライフルーツを用意した。

最近では、撮影のない時も「差し入れよ」と言って、人気のスイーツを手にひょっこりスタジオに現れたりする。
「ミーナさん、今日はみんなに手作りクッキーを振舞ってたわね」
メイクを施してくれていたトモさんも驚いている。
「うん、私もさっきいただいたけど、ジンジャークッキー、すごくおいしかった。ミーナさんってお菓子作りも得意なのね」

「本当はテラス席にしたかったんだけど、モデルに日焼けはご法度だからね。さあ、何を食べようか」
メニューを開き、いくつかあるランチの中からメインが魚のコースを選んだ。せっかくだから、と、グラスシャンパンを勧められ、それもいただくことにした。
(中略)
その時、前菜が運ばれてきた。美しい色合いの野菜テリーヌだ。
「うまそうだなぁ。さあ、食べようか」
「はい」
ナイフとフォークを手にしたものの、南城編集長の続きの言葉が気になってならない。

ふたりとも、プレートに載ったいかにもカフェらしいランチを注文し、どことなく弾まない会話を交わした。ランチを終えて、コーヒーが運ばれてきたところで、里美は不意に改まった顔をした。

今夜のメニューは、子持ち鰈と野菜の煮付け、小海老のフリッター、かぼちゃサラダとあさりの味噌汁、雑穀入り五目ごはんである。野菜は、無農薬のものを、わざわざインターネットで取り寄せた。

唯川恵著『セシルのもくろみ』より