おそらく10年以上ぶりに再読したのだが、なんてことのない内容を結構覚えていた。
さくら先生が病気で亡くなった今読むと、重病にかかるかどうかは人による、という事実を改めて突きつけられる。
このエッセイにかかわらず、さくら先生の健康マニアネタにふれるたび、喫煙習慣で帳消しどころかマイナスでは...と思っていた。
たしか雑誌の対談でニコチンを和らげるフィルターをつけて吸っている、とも言っていて突っ込む気にもならなかった。
赤ワインにはまったエピソードでは川島なお美を連想した。ポリフェノールが推されていた時期のことは私も覚えている。ミスチルの歌詞にまで織り込まれてたし。
自社に引き抜いた顛末が語られている賀来兄が今もさくらプロダクションにいるのかどうかはわからないけれど、今回電子版を買って、ささやかながら「万一自分が死んでも印税で食わせていける」と口説いたさくら先生の約束に貢献できたのはわるくないなと思った。
話は、シフォンケーキのことで盛り上がっていた。祖父江さんが、この店の近所に、日本で二番目においしいと思うシフォンケーキの店があるというのだ。木村さんもその店を知っていて、確かにあの店のシフォンケーキはおいしいと言う。
私は偶然にも、なぜか3日ぐらい前から猛烈に“おいしいシフォンケーキが食べたい"と思っていたので、シフォンケーキの話がでたのには驚いた。
私がそのことを言うとみんな「よかったねー、さくらさん、どんどん運が良くなってるよ。ラッキー運上昇中かもね」などと言って喜び、この店を出たあとシフォンケーキを食べに行こうということになった。
食事がおわり、全員お腹いっぱいなのに、誰も「シフォンケーキを食べにいくのはやめよう」と言わずに一直線でケーキ屋に向かっていた。向かっている途中でも、全員がこれから食べるシフォンケーキへの期待が高まっており、「うれしいよね」とか「わくわくするよね」などとそればかり言っていた。
店に着き、私達はショーケースの中のいろんな種類のケーキに目がくらんだ。全員お腹いっぱいなのに、誰もが「全種類食べたいよね」と口々に言った。
それで、違う種類のケーキをひとり2個ずつ注文することにした。それをみんなで分け合って食べれば8種類のケーキが食べられることになる。
「8種類も食べられるなんてうれしい」と言って全員手を打って喜んだ。「ひとり2個なんて多いよ」と言って止める人は誰もいない。店の人は私達が2個ずつケーキを注文したので驚き、テーブルに乗り切れないからと言ってもうひとつテーブルを持ってきてくれた。私達はテーブルが増えたことにまた喜び、「テーブルが増えて食べやすくなったね」とますますケーキへの期待が高まった。
テーブルの上にズラリとケーキが並んだ。私達はもううれしくてたまらず、「いただきまーす」と叫び、手近なところにあるケーキから次々に食べ回していった。どれを食べても全員「おいしい」と言い、みんな楽しくてニコニコし、本当にケーキを食べに来てヨカッタという話題でもちきりだった。中華店に着き、前菜をひと口食べたとたん全員「おいし———っ」と叫んで大騒ぎになった。次々に出てくるものがどれもおいしく、しばらくの間「おいしい」というセリフしかきこえなかった。
フカヒレを食べた時、祖父江さんは「う」と小さく良い、もう黙りこくってしまった。あまりのおいしさに目に涙をため、食べおわったあと「...おいしいと言うことさえ、風味を逃さないために言うのをやめたんですよ」と語った。屋台の電球の下でフルーツゼリーがおいしそうに輝いているのを見ていると張さんが「先生、アレを買って食べちゃいけませんよ」と私に中毒への警告をした。
私と木村さんは、ルームサービスをとりすぎた。チャーハンとラーメンとヤキソバをとり、大量に余った。いくら止める人がいないからと言っても、ふたりなのに三人前もとれば余るに決まっている。(中略)余ってもいいから食べてみたかったのである。ふたりとも、気が澄んでヨカッタと言い合った。とりすぎたうえにあまりおいしくなかったが、気が済んだから良いのだ。
短時間に集中して感動を得た私達はお腹がペコペコになり、評判の良い飲茶屋さんに直行した。ギョーザ類も饅頭類もメン類もどれもおいしくて次々食べた。
店の近くに甘栗屋の屋台があり、木村さんがいつの間にか私のためにそこの屋台で甘栗を買っておいてくれた。私が、人一倍甘栗が好きなのを彼女は知っているからである。私自身、自分がそれほど甘栗好きなほうだと今までの人生の中で思ったことはなかったのだが、つい数日前、くいしんぼう同盟の人達と喋っているとき、私が「甘栗を年間十回以上は買っている」と発言したところ、全員驚き「さくらさん、それは相当甘栗が好きなほうですよ」と口々に言い出した。(中略)
バスの中で、木村さんは甘栗をみんなに配り、「台湾の甘栗ってどんな味だろうねー」と言って食べたところ、それがすっっっごくおいしかった。この甘栗通の私が言うのだから間違いない。今まで日本国内で食べてきた甘栗には無かったおいしさがある。(中略)
当然、バスの中は全員感動していた。「こんなにおいしい甘栗があったなんて...」という声が続々と車内を揺るがせた。ヒロシでさえ「ん、こりゃうめぇな」と思わず言った。その晩、私達は立派な台湾料理店へ行って立派な物を食べた。でも、ナマコが原形のまま出てきたときには私はひるみ、おののいた。いくらそれが立派な物でも、気持ち悪い。
私が母におみやげの甘栗を渡すと、母は驚き「なんで甘栗なんてわざわざ買ってきたの」と言ったが黙って食べろと言って押しつけた。
私は甘栗を3キロも買ってきたのだ。他のどのおみやげよりも多く重い。しかも、さっさと食べてしまわなくてはならない。だからその晩から早速、私はせっせと食べてしまわなくてはならない。だからその晩から早速、私はせっせと甘栗を食べ続けた。子供の頃、「腹一杯甘栗が食べたいなァ」と思っていた夢が、また叶いたい放題叶った。食べるにあたり、私は納豆の中に刻んだシソの葉を5枚入れた。それをゴマドレッシングであえ、少しマヨネーズを加え、長方形に切ったノリで包み口へ運んだ。
2秒ぐらい、「う...」と心が叫んだが、3秒後にはシソの葉やゴマやマヨネーズやノリなどの味覚的味方陣が総力をあげて私を助け、1パック食べることに成功した。カゼ薬を飲み、プロポロスを飲み、ニンニクのはちみつ漬けを食べ、しょうが湯を飲み布団にもぐった。すぐに汗がでてきて止まらなくなってきた。眠れないから目をあけていたのだが、汗が目に入りあけていられなくなったのでつむった。
ヒロシの隣のほうで、町内の人達がモチつきをしており、つきたてのモチが3個200円で売られていた。きなこモチ、あんこモチ、いそべモチ、どれも死ぬほどおいしそうだ。モチ売り場の人達が「はい、つきたてのおモチだよー。すっごくおいしいよー」と叫んでいる。客がどんどん寄ってきて、モチは次々飛ぶように売れていた。
(中略)
きなこモチと磯辺モチを買い、モチを受け取るとプラスチック容器からモチのほのかな暖かさが掌に伝わり、今、この世で一番おいしい物はコレかもな、と思った。
(中略)
私とヒロシは隅のベンチに座って早速モチを食べた。予想どおり、それは今、この世で一番おいしい物だと言わしめる実力があった。おいしい。とにかくおいしい。
(中略)
家に帰り、母にお土産のモチをあげた。しばらくしてから私は「おかあさん、おモチ、食べた?」と尋ねると母は「ああ、アレね。食べたよ」と言うので「すっごくおいしかったでしょ」と言うと母も「うん、すっごくおいしかったよ。やっぱり、つきたてはおいしいね」と言った。近くにいたヒロシも「あれはうまかったな」と地味に感想をつぶやいていた。
数日後、母とヒロシが何か真剣に話しているのできいてみると、なんとまだあのモチの話をしているではないか。私は驚きながらもうれしくなり話に加わった。たまたま姉もいたので4人でモチの話をしているうちに、こんなにつきたてのモチが気に入ったのなら電気モチつき器を買った方がいいんじゃないかということにまでなった。いよいよその年が明けたというのに、我が家では元旦からみんなそろって手巻きずしを食べていた。なんかものすごくおいしかったので、次の日も食べようということになった。それで、次の日も手巻きずしを食べた。2日前もものすごくおいしいおいしいと家族中で騒ぎ、次の日も食べようということになった。
3日目も本当に手巻きずしを食べた。それでもまだ誰も飽きなかった。とうとう4日目も手巻きずしを食べることになった。4日間も手巻きずしを続けて食べた正月も初めてだった。芝山さんの奥さんが持ってきて下さったおすしやお茶もおいしくて、みんな大喜びだった。途中で入った甘味処の豆かんがおいしくて、私はその日以来毎日自分でも豆を煮て寒天を固め、豆かんを作って食べている。
さくらももこ著『さくら日和』より