たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

戦時中『らんたん』(8)

ヨーロッパの大戦中の手記を読んでもよく「代用コーヒー」なるものが登場する。いよいよ危機の時、とっておきの本物を飲んだらいかにエネルギーが湧いたかということも。

「お疲れですよね。そうだ、授業が始まる前に、ご気分を変えてみませんか? 今日は涼しいですから、調理室に行って、ココアを淹れてきますわ」

ゆりは疑問を飲み込み、代わりに笑顔を作ってみせる。

「ココア? 今、そんなものが作れるの?」

道が目を丸くすると、ゆりはちょっと得意そうに言った。

「そうです。米ぬかを長い時間かけてゆっくり炒るとココアパウダーのような色と香りになるんですよ。たくさん作って瓶に保存してあるんです。ミルクの代わりに豆乳をつかいます。婦人雑誌で読んだんですけど、騙されたと思って、ぜひ、試してみてくださいね。お砂糖をほんの少ししか入れなくても、甘みがあって、なかなか美味しいんですよ」

(中略)

心配そうな彼女がココアの載ったお盆を手に立っている。有島さんの姿はいつしか消えていた。

「大丈夫よ。なんでもないわ」

慌てて言い、立ち上がってココアを受け取る。一口飲むと、香ばしさとほのかな甘みがいっぱいに広がった。

どの子も興奮で目は輝いているものの、芋や豆でかさ増しした雑炊ばかりの食生活のせいで、ひょろひょろに痩せて、頬はこけていた。道自身、味気ない少ない食事をできるだけよく噛み、水をがぶがぶ飲んで、必死で空腹をごまかしている毎日である。生徒の健康管理は今、一番頭を悩ませていることだ。独自のルートで手に入れたピーナッツバター、ハムやソーセージはたとえ少量になろうとも、全校生徒に行き渡るように注意して配っている。

ゆりも乕児も、しまった、というふうに姿勢を正し、ちらりと天井を見つめて、サツマイモや干からびた干し柿を齧った。

みんなが揃ったクリスマス礼拝と祝会は、星飾りもツリーもプレゼントもない簡素なものだった。けれど、それぞれ工場の休み時間に少しずつ練習したコーラスを発表したり、持ち寄った野菜でシチューを作ったり、恵泉が始まってからもっとも満ち足りた一日となった。

「監査員のみなさんを、ありったけのご馳走でおもてなししませんか? このご時世、どんな人でも、食べ物には敵わないはずですよ。園芸科が収穫した野菜で、欧米で出るようなコース料理は作れないかしら?」

美智子は、あっと目を見開いた。

「そうですね。素材は少なくても、彩りを豊かにして、品数さえ増やせば、目も舌も満足してもらえることでしょう。なにしろ我々の学園の表向きの目的は『食糧増産』なんですから」

(中略)

道の読み通り、冷えた手指を擦り合わせて恵泉に辿り着いた5人の監査員たちは、学園の応接室に通されるなり、感嘆の声をあげた。カボチャのマッシュ、青菜のソテー、サツマイモの甘煮、ジャガイモ団子、豆のコロッケ、カブのコンソメ煮。六皿もの温かな野菜料理に、新鮮な卵でつくったとろとろのオムレツ、ババロアにケーキ、果物までが並んでいた。彼らはしばし無言で、ご馳走を口に詰め込むことに夢中になった。

「いや、戦争が始まってから、こんなに美味しい食事をしたのは初めてです。一体どんな魔法を使ったのですか?」

監査員の一人が、食事の途中でフォークを置き、ようやく感に堪えぬように言った。美智子はすかさず答える。

「保存していたものもあるし、収穫したばかりの野菜もあります。我々の学校では、こうした非常時の乗り切り方も教えようと思っているんです」

「奥様といえば、私、ドストエフスキー本人より、その奥様が書いた本の方がずっと好き。『夫ドストエフスキイの回想』という本なの」

歌うような調子で玲子は急にそんな話を始めた。

「奥様はドストエフスキーの口述筆記も務めているのよ。もしかして、本当に文才があるのは、奥様の方なんじゃないのかしら。私、そんな気がするの。......あれ、なんだろう。この美味しそうなにおいは?」

ボイラーの蒸気に混じって、なんだか香ばしい海のにおいが広がっている。みんな、くんくんと鼻をうごめかし、辺りをきょろきょろ見回した。

「きゃ、見つかっちゃった」

俊子がすぐに舌を出し、アイロンの下からするめを素早く引き出し、作業着の下に隠した。アイロンをするめに押し当て、熱くパリパリしたせんべいにするのが、このところ生徒の間で流行っている。たね子は笑って、

「さっきお昼を食べ終えたばかりでしょ。おやつにはまだ早いわ」

と一応たしなめたが、見なかったふりを決め込んだ。俊子が恥ずかしそうにアイロン台の下にしゃがみこんで、するめをかじっている。甘いお菓子が手に入らなくなっても、女の子たちはあの手この手でおやつになる素材を探しては、少しでも美味しく食べるための情報を交換し合っていた。

「そうよね。いつか平和な時代が来たら、きっと日本でも上映されるよね。そうしたら、ここにいるみんなで一緒に映画を観に行こうよ」

珠子が叫ぶと、さんせーい、映画を観ながらあられをどっさり食べようよ、とあちこちから声があがった。

柚木麻子著『らんたん』より

らんたん

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