たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

ピーナッツ・ウィーク『らんたん』(7)

「ピーナッツ・ウィーク」、遠い記憶が刺激された。似たような誰かにこっそり親切にするならわしのことをどこかで聞いた気がするのだが、はっきり思い出せない。自分でやっていたら絶対に相手のことを覚えているはずなので体験はしていないのだろうが...。特に子どもにとっては、もらうことばかりでなくささげることを学べる素敵な催しだ。

三越の手前で屋台を出しているバナナの叩き売りの軽妙な掛け声と爽やかな甘い香りに惹かれ、道とゆりは足を止めた。道にとって、亡き祖父の家の庭に植わっていたのに、ついに食べることがかなわなかったバナナには思い入れがあり、こんな風に気軽に輸入物を買えるようになってからは、メロンと並んで大好きな果物となっていた。

菊栄は可愛いでしょ、と両手にうずらを乗せ、得意そうな顔をして差し出した。この子の卵ね、三越デパートが買い取ってくれるのよ。あそこの食堂の上品なおすましの中に三つ葉と一緒にちんまり浮いているのがうちの卵なの、と得意そうに語った。

サンドイッチと冷たい紅茶の瓶を手にした乕児がドアのところに立って、あきれた顔で笑っている。

創立祭では、もう配給制になって貴重品だというのに、砂糖を大さじ一杯ずつ、全校生徒が各家庭から持ち寄って、二千枚ものクッキーが焼かれた。感謝祭では校内の至るところに、果物や野菜をたっぷり盛り上げた籠や着飾ったカカシが置かれ、邦子も者珍しくてしげしげと眺めていたが、考えてみれば敵国の行事ではないか。

「美術さんも大道具さんも、みなさん素晴らしい感覚を発揮してくれました。さあ、あとはみんなで、ご馳走を好きなだけ食べましょうね」
化学室に戻ると、テーブルクロスの上には、父母会が用意してくれた、竹の皮に包まれた熱々のちまきと熟した柿、蒸かしたてのサツマイモが並んでいた。道先生は「さ、どんどん食べましょう。そうじゃないと私が先に食べてしまいますよ」と口をびっくりするくらい大きくあけてお芋を頬張るので、邦子もついついみんなと一緒に笑ってしまった。久しぶりの甘みが身体に沁み渡るようだった。クリスマスの讃美歌を歌って、会は幕を閉じた。

みんなで食べたおしるこは熱々で、贅沢だと思いつつ、やっぱり舌がじんとするような甘さが嬉しかった。

椅子に座り、出された紅茶を受け取った。一口すすったら、罪悪感が口の中いっぱいに広がり、咄嗟にうつむいた。
「安心して。そんなにお砂糖は使ってないわ。塩をほんの少し入れて、甘さを引き立ててあるだけ。贅沢ではないわ」
道先生はこちらの意を察してか、優しくそう言った。カップを両手で包みながら、美味しい、甘い、あったかい———。そんな風に思うことさえ、今の邦子には申し訳なさがある。

パンやジャム、お菓子、日用品を籠に詰めて持たせると、学校から歩いて約20分、緩やかな坂の途中に佇む三階建ての洋館、タッピング邸に生徒たちを向かわせた。
(中略)
「まあまあ、ありがとう。美味しそうなジャムね。それにクッキーまで。道にどうぞよろしく伝えてね。よければ、お茶を飲んでいってちょうだいな」
(中略)
恵泉生ばかりではなく、近所の人々もまた、ジュネヴィーヴにパンやバターを密かに届けていた。この坂道は今も桜上水に「タッピング坂」として残っている。

美智子が留学先で経験し、恵泉に持ち込んだ「ピーナッツ・ウィーク」という催しは、12月をおおいに盛り上げた。生徒に一人一粒ずつピーナッツが配られ、殻の中から級友たちの名前を書いた紙が出てくる。その相手に気づかれないようにこっそり優しくしたり、小さな贈り物を届けたりしながら2週間を過ごし、最終日に誰が誰の「ピーさん」だったのか、明かされるというゲームだった。生徒たちはそれぞれまだ見ぬ誰かに支えられていることを意識し、同時に誰かを思いやりながら、ホリデーシーズンをウキウキした気持ちで終えたのである。

籠いっぱいに詰め込んだのはキルバン先生とウェルズ先生への花と果物、ひいらぎと松ぼっくりのリース、みんなで少しずつ粉や砂糖を持ち寄って焼いたフルーツケーキだ。予想通り憲兵が恐ろしい目つきで飛び出してきた。
「在留外国人は家族以外の面会は禁じられている。何度言ったらわかるんだ!」

「一休みしたら、みんなでお弁当を食べましょうね」
どの弁当箱も芋やカボチャや豆ばかりの乏しい中身だったが、みんな一緒に草の上で食べると格別に美味しく感じられ、忘れられない一日となった。

柚木麻子著『らんたん』より

らんたん

らんたん

Amazon