たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

学生のたべもの『もういちど生まれる』

勤めの傍ら通っていた今はなき某IT専門学校は、週末、オールでマシンが開放されていたのでクラスメートと誘いあさせてしょっちゅう利用していた。たまに1時過ぎに行くココイチも楽しみだったが、校内でホットの紅茶花伝を買って夜景を眺めながら止まり木で飲むのはもっと好きだった(アンチ午後ティーなので、コカコーラの自販機でありがたかった)。
生協のパンや、パン屋でバイトをしていた友達のことも、6畳ワンルームで部屋飲みをする愉快さも思い出したな。さすがにカシスコンクの買い置きはしたことないけど、カシスウーロンはアルコールスターター向けだよね〜

コロナ禍に大学に入った愛子さま世代はほんとうに気の毒だったが、この本に出てくるような青春が奪われていないといいなと思う。

自販機で微糖のミルクティーを買って、一人で教室の端の方に座った。女子たちの視線を感じる。

尾崎は意地悪そうに笑うと、ミルクメロンパンがふたつ載ったトレイを差し出してきた。甘いパンが無骨な短髪と浅黒い肌にまったく似合わない。
「けっこういつもかわいいパン買うよね」同じパンを二つ買うっていうところに、男子特有の食欲と、食欲そのものへのこだわりのなさを感じる。
「俺がベンチに座ってこれ両手で食っとったらかわいいやろ?」
それはおかしい、とあたしはけらけら笑いながら252円を受け取って、レシートを渡す。

来なくてもいいのに、とあたしが言うと、「ついでにアクエリ買うからさ」と答えながら、ついでにあたしの好きなシュガーコーンも買ってくれる。

パスタを茹でてカルボナーラソースと和える。麺が熱いうちに細かく刻んだチーズを混ぜると、味が濃くなっておいしい。

ひとつも信号に引っ掛からなかったことがうれしくて、こんな時間なのにまだ甘塩の鮭の切り身が残っていたことがうれしくて、軽やかに鍵を差し込む。
(中略)
ひーちゃんは昨日もおとといもこうしていましたみたいな顔をして、つややかに立ち上がっているお米を茶碗によそっている。風船のようにぱんぱんにふくらんだお米から漂う湯気を、大切そうに顔じゅうに浴びているひーちゃんを見ていると、童謡しているあたしの方が間違っているように思えてくる。
「なにしてんのって......ごはんでも食べようと思って」
「ごはんでも......ね」
「あと鮭も」
ひーちゃんはあたしの左手を指さした。西友で買った鮭の切り身が入ったビニールぶくろは、あたしより先にこの状況を理解したのか、何かをあきらめたようにだらんと力無い。
(中略)
「はい、鮭焼こ。お味噌汁もあるからね」
ひーちゃんはごはんの甘いにおいに満ちた湯気の中でほほえむと、ためらいなくあたしから鮭を奪った。やっぱり甘塩だよね、と満足そうにうなずいて、コンロをひねる。もちろんアパートにグリルなんてないから、魚だってフライパンで焼く。冷凍しようと思っていた二切れ目もしっかり焼かれる。
(中略)
「鮭、弱火でじっくりねー」
(中略)
じうじう音をたてながら鮭を焼くひーちゃんは、今日も背筋がピンと伸びている。
(中略)
「この鮭、あぶらたっぷりすぎない? 揚げてるみたいになってきたけど」
口を尖らせながらもひーちゃんは楽しそうだ。魚から出るあぶらは肉のそれと違ってやさしいにおいをしている。たきたてのごはんのにおいと混ざって、それだけでもう十分おいしそうだ。じうじうにぱちぱちが加わると、もう自然と口の端からはじんわりと唾液が生まれてしまう。
(中略)
適当に二、三曲同期させたところで、ひーちゃんが皿を二枚持ってやってきた。
「鮭、おいしそう。私、天才。なんか夜なのに暑いね」
「あんた鮭焼いてたからだよ」
受け取った皿の上では、しっかりと焼かれた鮭が表面をじゅくじゅくと泡立たせていた。一切れ77円でごはん二杯はいけると思うと、鮭は偉大だ。
「尾崎くんとはうまくいってんの?」
鮭に甘いみそをつけて食べるひーちゃんのために、アパートの冷蔵庫にはチューブに入った液状のみそが常備されている。甘くてあたたかい鮭のあぶらが、顔全体にふっと抜けていく。
(中略)
ひーちゃんは、鮭やお味噌汁がなくなるのと同時に、ご飯を一粒残さず食べきる。食事をするのが上手なのだ。
(中略)
鮭がおいしい。ごはんがすすむ。
「......尾崎、ヤキモチ妬いてくんないんだよね」
あたしは、汗をかいているグラスを握って麦茶を飲む。
(中略)
食器を片づけたあと、思い出したように窓を開けて、あたしたちはお酒をちびちび飲んだ。魚を食べたから、今日は日本酒。
(中略)
ひーちゃんは唇を尖らせながら、新しくカシスウーロンを作り始める。カシスウーロンなんてそんなジュースみたいな、と思ったとき、部屋が暑い気がしているのは酒のせいだとやっと気付いた。いつのまにかけっこう飲んでいたようだ。

「......またかわいいパン買うの?」
あたしは、トレイに載せられたチョコチップスティックとりんごカスタードパンを見ながら、片頬だけで笑った。
(中略)
大嶋さんが、あたしにチョコチップスティックを差し出した。「私のおごり。こういうときは、甘いものよ」かっこいいことするなあ、と笑いそうになりながら、あたしはそれをくわえる。舌の先っぽにチョコチップがあたって、ほんのりとした甘さが舌の上に広がった。
同じチョコレートなのに、ちがう。尾崎のアパートで食べたシュガーコーンのチョコは、もっともっと美味しかった。
「店員なのに、堂々とパン食べてるのおかしいよね?」
尾崎と入れ違いに入ってきた客が風人だということには、声をかけられるまで気がつかなかった。
(中略)
この蒸しパンもしかして焼き、蒸したて? 風人はうれしそうに声を弾ませながら、ほのかに湯気をのぼらせているくるみ蒸しパンをトングでつまむ。それも、たった今たまごから孵ったばかりのひよこを扱うような慎重さで。焼きたて、をわざわざ蒸したて、に言い直すところも、風人らしい。
(中略)
「おれもこれにした」
風人はすっかり冷めてしまっているチョコチップスティックを持ってきた。
「この、取れちゃってるチョコもちゃんとちょうだいね」
風人は小さなことを気にする。
「甘いもんばっかり買うんだね」
あたしがそう言うと、風人はリュックの中から財布を探す。風人の小さな背中では遮ることの間に合わなかったひかりが、あたしを直接照らした。
「だって、汐梨がすごくうまそうに食べてたから」

むりむりむりむり、オレまだ細切りにしないとピーマン食えねえし茶碗蒸しのシイタケと銀杏よけるし。それとこれとは関係ないかもしんないけど。

「先に買ってきた」
礼生は揚げナスの載ったトレイを持って孵ってきた。「ふざけんな!」と吐き捨てて、オレは急いで食料を確保する。
(中略)
から揚げサラダ丼Lサイズ399円をほおばりながら、オレはさっきの言葉を全部ひらがなにして頭の中に並べてみる。から揚げとマヨネーズがおいしくて、口の中に多めにごはんを入れてしまった。

そもそも、とりあえずビール、の時点でアルコール的にオレはピークを迎える。ほんとは二杯目の時点でカルーアミルクとかつぶつぶいちごサワーとか頼んじゃいたいけれど、椿の前だからそれは我慢する。

オカジュンは追加でチーズ春巻きを頼む。
(中略)
読者モデルも大変ですなあ、とオカジュンはケチャップをたっぷりとつけたポテトをくわえる。

ハルは、ポッキーのチョコレートをまず全部舐める。そのあと、雨の日のきりかぶのように水分を含んだプリッツの部分をもぐもぐとする。口の動きを見るだけでその順序がわかる。

たくさん買い込んだ野菜と肉を、熱をたっぷりと含んだ鉄板に並べていく。「焼きおにぎりつくろ!」「おこげ食べたい!」女子たちがきゃあきゃあとごはんを焼き始め、「まだ飲むなっての!」早くもビールを開けているオレたち男子をオナジュンが叱る。
(中略)
そんなに飲めやしない金色のビールを無理やりのどに流し込む。オカジュンが買っておいてくれたという甘いお酒なんてもうどこにあるかわからない。
喉元で炭酸が炸裂する。ビールは苦い。やっぱりオレはまだガキだ。
「男子肉焼きすぎ! そのへんバーベキューっていうか肉野菜炒めみたいになってるよ!」
「肉野菜炒めとかおふくろの味じゃん」
「味じゃん、じゃないよ! 皿にあったやつ全部載せたでしょ?」
(中略)
ぱちぱち、あちちち、これ食べれるよー、ふーふー、ビールが足りん! じうじう、たくさんの音の中でオレたちは食べたり消費したりする。鉄板からゆらゆらと漂う熱気と、クラスメイトの大きな声と、肉からしたたり出るうまそうな脂と、鼻から入って腹まで届く匂い。

「ついこのあいだまで民家だったところが、最近甘味喫茶やり始めたんだよ。隠れ家的な感じでさ、下北沢にあるよ。わらびもちがおいしいって評判」
本当か嘘かもよくわからないことを言って、礼生が揚げナスを食べ始める。スタバやドトールとかじゃなくてわざわざそういう店に行くっていうところが礼生様だ。
「あ、そーいえば」
デミチーズハンバーグを一口食べると、オレは言った。

ナツ先輩の形のいい歯でしゃりしゃりと削られているガリガリ君から、ひとつふたつぽとりとソーダ味のしずくが落ちる。
「あげる」
あ、ありがとうございます、と、俺は戸惑いながらも差し出されたガリガリ君を受け取る。ナツ先輩の行動はまったく読めない。ガリガリ君は俺のテンションが下がるくらいに溶けていたので、本当はずっと前から後ろに立っていたのかなと思う。

桜と気まずい、と相談をしたときも、「そうかー」と言ってぶどう味のぷっちょをひとつ差し出してきただけだった。グミの部分が歯につまるから嫌い、と桜がいつも言っていたぷっちょ。
「なんでこの会社はグミを入れようと思ったんすかね? 噛んでる間にどうせバラバラになるのに」

駅までの道を歩いている途中で、ナツ先輩はコンビニに寄ってチョコモナカジャンボを買った。甘党なんだよね、と言いながらいつも甘いものを食べているナツ先輩は、それなのに全然太らない。
(中略)
「どうせお前のバイト先のまっずい焼肉だろ、おごるっつっても」
肉焼くだけなのにどうしたらあんなにまずくなるんだよ、と、ナツ先輩は、あまりうれしくなさそうに笑った。
(中略)
あいつは烏龍茶じゃなくて絶対に黒烏龍茶を選ぶような女だった。体重が200グラム減ったとか、昨日焼き肉を食べたから今日はキャベツしか食べないとか、そういうことで毎日頭がいっぱいらしかった。ナツ先輩の前でもそういう話ばかりするから、俺はなんとなくいつも緊張していた。

「ただいま」の声を待つことを諦めた母さんは、たまに鍋の中をのぞきながら味見をしている。俺は、匂いの波の中に、カレーとは別のものが混ざっていることに気がついた。
(中略)
父さんの作るカレーライスは、世界一おいしかった。今日は仕事が早く終わったからカレーでも作るか、という一言は、子どものころからずっと、俺にとっては魔法の言葉だった。
父さんのカレーは、ぴかぴかに光る金色をしていた。子どものころの俺の目にはそう映ったから、学校で絵の授業があったときもカレーの部分を金色に塗った。友達みんなに笑われながら、めったに使わない金色の絵の具のチューブを中身がなくなるまでぎゅうぎゅうと絞ったことは今でも覚えている。
もうすぐ二十歳なのに、俺はまだ父さんが作ってくれたカレーの味を忘れることが出来ない。
(中略)
「新、食べましょう」
母さんの言葉に、俺は我に返る。ナツ先輩とラーメンでも食って帰れば良かった。
二人が座るにしては広すぎる食卓で、俺はやっぱり違うと思った。鷹野さんと出合ってから、母さんはよくカレーを作るようになった。だけど、何回作っても父さんのカレーと同じ味にはならない。それでも願かけでもするように、母さんはカレーを作り続ける。

「わっっっけわかんなかったっすよね!?」
俺の言葉に、ナツ先輩はむむむむむとうなりながら、縦にも横にも見えるように首を振った。と思ったけれどよく見ると、わがままに伸びるトルコ風アイスを切ろうとしているだけだったようだ。

卵がたっぷりと入ったカルボナーラのソースはあっという間に固まってしまった。

俺は、買ったあとにリバーシブルだと気づいたパーカのフードをかぶって、ナツ先輩が買ってくれた桃味のクーリッシュをくわえた。中身はかっちかちなので、今は桃の風味だけを味わうことにする。
(中略)
クーリッシュがやわらかくなってきた。ず、と思いっきり吸ってみると、袋がへこんだ分、口の中に桃の風味のみが広がる。

おしることわらびもちが絶品らしく、ほのかに漂うお香のかおりがとても落ち着く。
(中略)
結実子さんが冷やし抹茶をこくりこくりと飲みながら、物珍しそうな表情で俺の目を見つめていた。
「これすっごくおいしい。京都みたい」
「抹茶イコール京都」
「ごめんね安易で」
わらびもちも頼んじゃおうよ、と結実子さんは人差し指でとんとんとメニューをつつく。こういう雰囲気勝負の喫茶店は高いんだよな、と冷静に思いながらも、俺は、やっぱり結実子さんを描きたいと思った。
(中略)
わらびもち二皿お願いします、と結実子さんはためらわずに注文する。580円 × 2、追加。けっこう辛い。
(中略)
「私、困ってるひとには協力するんだよ」
言い終わるが早いか、結実子さんは運ばれてきたわらびもちにぱくついた。すげーおいしー! と意外と太い声を出したので、俺は思わず噴き出してしまい、皿からぶわりときな粉が舞った。

「その日、鷹野さんが飯作ってくれてさ」
「それ、カレーだったんでしょ」
結実子さんは、小さなくちびるに最後のプリッツをくわえたまま、ほんのちょっとだけ悲しそうに続けた。
「誰が悪いとかじゃないけど、なんだか良くないことが良くないように重なってるね」
鷹野さんの作ったカレーを一口食べて、その強すぎる辛さでスイッチが入ったかのように俺は大声で喚いてしまった。
(中略)
「そんなにカレー辛かったの?」
「いやいやそういうことじゃなくて」
「わかってるよ。冗談でしょ」
それから母さんは、父さんが作るあの味を再現できれば俺の中の何かが変わるとでも思っているのか、俺を試すようにカレーライスを頻繁に作るようになった。
だけど、父さんがカレーにかけた魔法を知っているのは、俺だけだ。
「私、一回バナナ入れてみたことある」
「バッバナナ? なんで?」
「酢豚にパイナップル、カレーにバナナみたいな。たぶん頭イッてたんだと思う」

母さんが部屋を去り、結実子さんが俺のところにティーカップを持ってきてくれる。「なんだか、初めて会った日の冷やし抹茶を思い出すね」結実子さんはおそるおそる熱いレモンティーをすする。

「今日のごはん何?」椿は何を勉強しているというわけでもないのに、毎日帰りが遅い。大学生ってそういうものなのかもしれない。私はいま、勉強をするということ以外に夜更かしをする方法を思いつけない。
振り返りながら、「今日はアジの開き」と答えた途端、私は言葉を失ってしまった。

私は、英作文の下にある赤ペンの「excellent!!」がうれしくて、いつもより少し高いミルクティーを買った。ウエストが窪んでいててのひらにしっくりとくるペットボトルを手に、階段をのぼっていく。

アスパラガスは苦手だから、できるだけ味がわからないうちにお茶で流し込む。母は、少しでも食べやすいようにとバターで味付けをしてくれているけれど、それでも独特の青臭さは消えない。

兄貴がきらいなシイタケを私が食べ、私がきらいなナスを兄貴が食べていた夕食の空間は、もう遠い過去のように感じる。

氷がふたつ入ったカルピスを飲みながら、兄貴がキッチンから出てきた。兄貴の作るカルピスは私には少し濃い。氷が全部溶けてやっと、ちょうどいいくらいになる。

一度シャワーを浴びて、コンビニで買ったサラダを食べてから、自転車で新宿に行こう。
朝井リョウ著『もういちど生まれる』より

田舎の流行メニュー『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(8)

私が田舎の高校生だったころ、ココスのオニオングラタンスープがめっちゃ流行った時期があった。最初にそのおいしさを教えてくれた友人宅に行ったら、大ブームで手に入りにくくなっていたナタデココが出された。「うちでは数年前からデザートにしていて常備している」と聞かされ驚いた。店の少ない地方でネット以前の世界だったことを思い起こし、驚きを新たにしている。

グラティネとはグラタンのことで、玉ねぎのグラタンスープの通称だ。夜中おそく仕事が終ってお化粧をおとして、厚い外套に頬をうずめ、木枯しの吹く表通りに出る。
「グラティネたべていかない」
誰か一人がそういえば、みんな賛成して、まだ灯のついている角のキャフェへぞろぞろと入ってゆく。パリの安キャフェのグラティネは、どんぶりのような瀬戸の焼きなべの中で、まだぐつぐついっているのを、テーブルまではこんでくる。
冷たくひえた白ブドー酒の一杯と、この熱い熱いグラティネ。スチームであたたまったキャフェの中は、人いきれと煙草の煙でむんむんしている。
仕事がすんでほっとくつろいで、気持も明るく、くだらないおしゃべりをしながら食べたグラティネの味は忘れられない。スープの上皮はグラタンになっているから、上からではスープはみえない。だからこれはフォークとスプーンをつかってたべる。まずフォークで上皮のパンとチーズのグラタンをたべる。パンについたとけたチーズはまるでチューインガムのように糸をひく、それをたべながら下のスープをのむというわけ。

フランスのスープ料理を書いていたらきりがないけれど、家庭で最も多く作られるのは、むしろこのグラティネより「ポトフ」だ。
これはスープともいえるし肉料理ともいえる。フランスでは大きなスープのポットにもって食卓に出すが、日本だったら、もちろんここで大きい上なべが出現するわけだ。
なべの中には一かたまりの肉と、皮だけむいた人参、ねぎ、キャベツ、玉ねぎ、セロリがやわらかく煮こまれている家庭料理だ。これを食卓に出すときは、スープ皿と肉皿と両方出しておいて、スープを飲んだり、別にとりわけた肉や野菜をたべたりするので、からしも出しておくほうがよい。
(中略)
この場合、肉はスープに味をとられて、いささかだしがら的な肉になっているので、残ってしまうことも多い。そのときは、たっぷりのしょうがじょう油に一晩つけておき、翌日うす切りにして出すと、さっぱりしたおいしいおかずになる。

8百グラムからの肉を入れるわけは、私はシチューをごはんにかけて食べるのが好きなので、じゃがいもを入れないためだが、もう一つは、シチューを作ったときは、それの一品料理で、ひたすらシチューのみをたべるために、少しぜいたくも許していただくことにしているわけだ。

またこの料理の変型に「プール・オ・リ」という料理がある。訳せば「トリとごはん」。
前に書いたのと同じように、大なべでトリと野菜を煮る。煮あがったらトリと野菜をとり出し、スープをこして、そのスープでごはんをたく。玉ねぎと人参は、こまかくきざんでご飯にたきこむ。そのとき、トリについてくるキモをバタでいため、みじんにきざんだものを、たき上ったご飯にまぜあわせれば、もっとおいしい。
(中略)
スープでたいた柔かめの野菜ごはんの上に、ゆだったトリがのって、ホワイトソースがかかっているのは、見た目にも美しく、味もさっぱりしているから万人向き。

メキシコに行ったときは、これに似たもので、「トリとごはんのトマトスープ煮」とでもいうようなのを食べたことがある。
(中略)
お米とトリとトマトの味、これもまたよくあっていて実においしかった。しつこい味の好きな人はこれにチーズを少しふりかけるとよいし、辛いのが好きな人はとうがらしの粉をふりかけたら、ますます満足すると思う。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

すき焼きの生卵『らんたん』(5)

カリフォルニア州は、飲食店で生卵を出せない。オーバーイージーとかも結構危ういと思うけど。

二人は有名なすき焼き屋さんを予約し、士官になったばかりでお金のないフェラーズに、お腹いっぱいご馳走した。鍋を囲み、煮えた肉を端から取って食べるという行為は新鮮だったらしく、フェラーズはいちいち興奮して、甘辛い味も気に入ったのかご飯を何杯もお替わりした。

「みんなで同じ鍋をつつくというのは、いいものですね。あっという間に親しくなれるみたいだ」

漬物も味噌汁も抵抗がない様子だったが、生卵だけは気味悪がって箸でつついて黄身を潰すのみだった。

「小泉八雲は日本で卵をよく食べたそうなんですが、この火を通さない卵というのも好きだったのかな?」

(中略)

フェラーズはすき焼きを気に入ったらしく、アメリカでも同じものを作ってみたい、と醤油と日本酒を大量に土産にして、満足そうに帰っていった。

仕事がよほど激務なのだろうか、何か滋養のあるものを、と摘みたての葡萄で作ったジェリーとバター、スコーンと紅茶を女中さんに用意してもらった。

「道先生のせいですわ」

ふっくらと高さを出して焼きあがったスコーンに手をつけず、秋子は突然、そう言った。

(中略)

道は朗らかに、スコーンを二つに割ってみせた。バターの香りがする湯気がふんわりと鼻をくすぐる。

眩しがって不快そうに顔をしかめる有島さんを横目に、女中さんを呼び、熱いお茶と季節の果物を頼んだ。

(中略)

廊下でむきたての白い梨とお茶を持ってきた女中さんとすれ違った。

夕食のストロガノフの香りがここまで流れてくる。

道たちは梨棚の下に落ち着き、ややひからびた梨をもいで、喉をうるおした。

その晩は床に横になるなりピクリともせず眠り続けたが、翌日になると父は少し元気を取り戻し、果物やビスケットを口にした。

僧侶たちに温かく迎え入れられ、そのお連れ合いたちに新しい着物を借り、濡れた服を乾かしてもらった。物資は欠乏している様子なのに、おむすびやパンやミルクが存分に与えられ、一晩泊まらせてもらった。普段あまり接することがない仏教徒の精神に触れ、道は自分の視野がいかに狭かったかを反省した。

大正最後の年、19269月のことだった。

国際連盟事務次長に任命され、ここ本拠地ジュネーブに派遣された新渡戸先生は、オーランド諸島の紛争を解決してスウェーデンとフィンランドを和解に導いたり、国際知的協力委員会を軌道に乗せるなどの活躍を評価されている。たっぷりの新鮮な野菜と果物、チーズ、オートミール、トースト、ベーコン、ミルク入りのコーヒーの朝食を和やかに終えると、新渡戸先生は真面目な顔でこう問うた。

顔見知りが増えるうちに、「サフラジェット」と呼ばれた婦人参政権獲得運動のために投獄された経験を持つ、イギリス人のレオノラと親しくなった。彼女が受けた想像を絶する拷問に道は震え上がって、詳細を聞くたびに吐き気がこみ上げてきてしまい、朝食のおかゆがしばらく食べられなくなったほどだ。

柚木麻子著『らんたん』より

らんたん

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しゃぶしゃぶなるもの、フォンデュなるもの『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(7)

私は大阪出身だが、実家にしゃぶしゃぶという料理は存在せず、初めて知ったのは関東の友人宅で(毎週末に夕食を共にするという離れのおばあさんから友人宅の内線に電話がかかってきて、何が食べたいか聞かれたらしく「ひさしぶりにしゃぶしゃぶでも〜」と8歳の彼が答えていたのだ)、初めて食べたのはたぶん東京に出て大人になり、就職してからだった。

いずれにせよ、彼女たちが当時たべられたような上等な牛肉は今はどこにいても、どんな金持ちでも手に入らないと思う。

大阪には、「しゃぶしゃぶ」というなべ料理がある(最近では東京にも出現した)。これはテーブルの真中に電気かガスこんろをはめこんであって、この上のなべの中にはお湯が八分目ほど入ってぐらぐら煮たっている。大皿の中には薄くうすく切ったすき焼き用の肉、しゅん菊、おとうふなどがのっかっていて、各自には深めの皿の中に、白ごまをすって味つけされたたれが出ている。

ぐらぐら煮たったお湯の中に、肉の一片を箸でつまみ、しゃぶしゃぶっと二、三回ふると肉に火が通って白っぽくなる。それをたれにつけて食べるのだが、熱い肉は、香りの高いたれにつけると、ちょっとひえて口あたりも柔かく、じつにおいしい。

これは肉のあまり好きでない人にも、油っこいものの嫌いな人にもたべられるし、若い人たちにも喜ばれるし、若い人たちにも喜ばれる。家で真似をしたときは、白ごまのたれのほかに、大根おろし、細かくきざんだねぎにおしょう油をかけたのをつけて食べたら、さっぱりしておいしかった。「しゃぶしゃぶ」とはよくつけた名で、名前のおもしろさも加わって、こどもも「しゃぶしゃぶ作ってエー」という。

これに似たものをパリでたべたことがあった。パリでたべたといっても、レストランでのことではなく、日本から来ていた方にご馳走になったのだが、やはりぐらぐら煮たったお湯の中に豚のうす切りを入れ、ほうれん草をさっと湯がく程度にくぐらせて、しょうがじょう油をつけてたべた。ほうれん草は生のままなので、お盆の上に山とつまれていたが、それが見るみるうちになくなったことを覚えている。

煮たあとのお湯も、しょうがじょう油でのむと、真冬でも汗がでた。ちょっと日本酒をたらしたら味がよくなって、どんなにおいしいことだろう、とぐちをいいながら、パリの空の下、日本酒がなく、白ブドー酒でまぎらわしたことも思い出す。

ブルギニヨンという料理で、これはスイスのホテルで雪のふる夜、友人の歌手やコメディアンと食べたなつかしい思い出のある料理だ。

テーブルの上にはアルコールランプの火がもえていて、その上に油をたっぷり入れたなべがのっていた。大皿の上には2センチ角ぐらいにコロッと切った、山かけのまぐろさながらの牛肉がたくさんのっていて、別の小皿には三種類のソースが出ていた。

ソースは、トマトケチャップの中ににんにくをすりこんだもの。(家で作るとき、にんにくのきらいな人がいる場合は、玉ねぎを少しすって入れる)

マヨネーズにトマトケチャップをまぜてローズ色にしたもの。(マヨネーズの中にケチャップを入れると甘みが出て味が柔くなる)

タルタルソース、マヨネーズの中にピクルスのみじん切りを入れ、レモン汁をふりかける。この三種類だった。

油の煮たったところに、ブルギニヨンのための特別柄の長いフォークの先に肉をさして、そのままジュッと焼く。

なま焼けのすきな人はすぐとりあげて好みのソースをつけてたべるし、よく焼きたい人は少し長く油につけておけばよい。牛肉のから揚げみたいなものだが、自分で好きなだけ焼くということが楽しく、わが家でやってみたら好評だった。

(中略)

スイスでこの料理を食べたときは、その後にレタスのサラダを食べて終りだったけれど、いま家でブルギニヨンを作るときは、肉ばかりではちょっとものたらない感じもするし、また財政の方もたまらないので、別皿にじゃがいもと人参を1センチ幅の輪切りにして固めにゆでておき、他にピーマン、ねぎなど、なまで出しておいて揚げることにしている。

ただし、野菜類を食卓の上で揚げるときは、油がはねる心配も多いので、メリケン粉か片栗粉をまぶして揚げるほうがよい。

フォンデュは、スイスチーズから作る独特なスイス料理で、レストランでも出すが、家庭料理としてスイス人の常食らしい。パリのレストランでもフォンデュを出すところがあったが、私はスイスにゆくまで食べたことがなかった。

「フォンデュって、一度食べてみたいわ」

といったら、レマン湖のほとりにある山小屋ふうのレストランに、友人がつれて行ってくれた。

「おいしいのよ」

「チーズがとろっととけてぐつぐつ煮たってるのを、パンのみみにつけて食べるの」

「白ブドー酒でとろ火で煮つめてあるの」

「フーフーふきながら食べるのよ」

(中略)

しかし、スイスの劇場で歌っていたころ、夜食にレストランに入ると「やっぱりフォンデュにしよう」と思った。そしてそれからもよく食べた。おそうざいの味、たべなれるとおいしい、なべ焼きうどんがなつかしいのと同じようなものだ。

(中略)

とろとろに煮上ったら、メリケン粉か片栗粉をほんの少し入れてつなぎにし、テーブルの上のアルコールランプの上にこのなべをのせ、弱い火であたためながらフォークにフランスパンをちぎってさし、それにフォンデュをまきつけるようにして食べる。

パンはもちろん食パンでもよいけれど、固いほうがおいしいから、食パンならみみの所がいいが、コッペパンのほうがなおいい。

パンのまわりにとろっとしたチーズがかぶさっているから、とても熱い。舌やうわあごをやけどしないようにフーフーふきながら食べるのは、寒い戸外から帰ってきたときには、有難くうれしく感じられる山小屋料理だ。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

大正9年のマンハッタンの日本人『らんたん』(4)

ゆり(30代)はコロンビア大学に、道(40代)はユニオン神学校に通学。ふたりで留学生活。こんなの楽しいに決まってる。そこにロックフェラー家との邂逅が。

訪問客の誰もが遠慮なくよく食べるので、道とゆりは週の最初に一週間分の献立を女中さんも交えてよく考え、大量の買い出しをする。常備菜や保存食の準備も怠らなかった。道がサラ・クララ・スミスに習ったジャムやプリザーブやピクルス、ゆりがアーラム大学で身につけたキャンプサパーの知識はとても役にたった。瓶詰めをあけて、庭に火を起こし、野菜や肉や卵を焼くだけで、即席パーティーの出来上がりだ。誰かが急に訪ねてきても、楽しくおもてなしが出来る。そんな来るもの拒まずな道の姿勢は、こんな風に望まない客までも寄せ付けてしまう。

「あともう一滑りしたら、部屋に戻りましょう。さっき市場でお買い得なロブスターがあったじゃないですか。奮発してお昼はえびのてんぷら風にしましょうか。おつゆに西洋大根のおろしをたーっぷり添えて」
と、食欲をそそるような節をつけてみせた。こちらの食品材料を使って和食を作ることはもはやお手のものだ。トマトも卵も生では決して食べない彼女の好みも完璧に把握している。そとそろと立ち上がりながら、道は言った。
「でも、今夜は夕食のご招待を受けているじゃない? アビーさんとおっしゃったかしら。贅沢は明日に回しましょうよ」

図書館を出ると、屋台で揚げたてのドーナツを買い求めた。顔なじみの女主人は、煮えたぎる油に丸く絞った生地を放り込みながら、第一次世界大戦後にひどい不況になった、来年は上向いてくれなきゃ困るよ、とぼやいていた。
(中略)
「私たちから見れば、ここは夢みたいな街よ。禁酒法は適用されているし、なにしろ、アメリカ女性は参政権を持っているんだもの」
油の染みた温かな紙袋を受け取りながら、それぞれに彼女を励ました。
(中略)
二人はドーナツを胸にアパートへと帰り、ゆりがミルク入りのコーヒーを淹れた。おやつの後で、それぞれ明日の授業の予習をすると、再び出かける準備をした。

なによりも道とゆりを感嘆させたのは、階段下に飾られたクリスマスツリーだ。これまで見たどのツリーよりも大きく、飾られているおもちゃやお菓子、鈴やガラス細工が豪華で、またその種類が豊富だった。モミの葉と手作りのジンジャークッキーとオレンジのにおいに二人はうっとりと酔いしれた。

一家全員とお祈りをして囲んだ長いテーブルでの食事も、斬新な材料を使っていたり濃い味つけがしてあるのではなく、新鮮な野菜や果物に溢れ、たんぱく質もたっぷり。あっさりしていて滋養に満ちているから、素直に美味しいと感じられた。全てがしっくり調和し、心身に馴染んだ。それはきっと彼らの知性によるものではないか、いやいや、それこそが資本というものなのか、などと道とゆりはその後、幾度となく話し合うことになる。
アビーが優雅にほうれん草を口に運びながら、こちらを見つめた。
(中略)
ジュニアがチキンを取り分けながら、ちょっとだけ皮肉っぽい口調になった。

「お願いです。どうか一口でいいから、召し上がってください」
好みに合わせたポタージュスープも、彩りの良いサンドイッチも、道は決して手をつけようとしなかった。

柚木麻子著『らんたん』より

らんたん

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夜食のたのしみ『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(6)

おとなって楽しいよね〜〜〜〜

リヨンは絹の産地として知られているほか、ブルゴーニュ産ブドー酒がおいしいし、食事のおいしいところといわれるだけに、楽屋ではそれこそ食べものの話ばかりだった。

皆、自分がいったレストランが一番おいしくて安いとがんばりたいのだから大変だ。

「絶対××の方がおいしいわよ」

「そう、そんなら明日のランチは××で待ち合せましょう。でも私は私の行っている×××のほうがおいしいにきまってると思うけどね」

フランス人は強情だから、食べものの話にまで自我をだす。

夕食をすませて楽屋入りをしても、十二時の休憩までにはお腹がすいてしまう。それを承知で、衣裳係のイヴォンヌは自分で作って持ってきたサンドイッチを私たちに売っていた。ハム、サラミ、チーズ、それにときどきはサーディンやパテ(肝のペースト)などもまぜて。

「イヴォンヌって実際がっちりしてるわね。こんなサンドイッチ五十フランで出来上るのに、百フランで売りつけるんだから」

仲間の歌手リュシエンヌはいつも怒っていた。

「怒るなら買わなきゃよいのに」

といったら、

「外へ出るのがめんどくさいもの」

といっていたが、だんだんイヴォンヌのサンドイッチにあきてくると、ビガール広場のホットドッグ屋まで、目新しいサンドイッチを買いに出るようになった。立食風に表に向った店兼台所で、二人の女の人がホットドッグ、ハンバーガー、クロックムシュ等、目の前で作って売っていた。

イヴォンヌのサンドイッチと違って、その店のは、パンも焼きたてのパチッと音のするパンで、温かいソーセージやハンバーグが入っているのだから、おいしかった。

クロックムシュというのは、食パンの間にハムとチーズをはさんで、パンの両面を油でごんがり狐色に焼いたもので、やきたてはフーフーいわないとたべられぬほど熱くて、中のチーズがとけて、ちょっと糸をひいておいしいサンドイッチだ。

ビガール広場に面したキャフェは、朝の五時まではあけていたから、簡単な食事をしたいときは、キャフェの窓ぎわで、着飾ってナイトクラブから出てくる人々や、街の兄ちゃんたち、花売り、娼婦たちのゆきかうのを眺めながら、冬は湯気が立って、チーズをたっぷりかけるオニオンスープをたべたり、夏はサラダや冷肉を小瓶のブドー酒と一緒にたべて帰ったものだ。

また気分をかえたい時は、フォンテーヌ通りまで歩いて、高級レストランといわれる「クロッシュ・ドール」や「アルザス」に行った。

クロッシュ・ドールの重い扉をおして席につくと、「疲れたから巣テークタルタルを食べよう」、リュシエンヌはかならず生の牛肉を食べた。それは生卵の黄味1コ、サラダ油、お酢、カープの実、玉ねぎやパセリのみじん切りをまぜあわせ、塩コショーで味つけをしたソースを、ひき肉の生肉にまぜあわせたもので、生肉を食べるなんて動物みたいだと思っていた私も、ひとくちもらってたべたら意外においしいので、ひどく疲れているときはステークタルタルを食べるようになった。

まぐろのとろより、むしろあっさりしている。栄養価は高い上、胃にもたれないのだそうだ。

(中略)

パントマイムのマルセル・マルソーとは親しくしていたので、よく夜食にも一緒にでかけたが、彼のあつらえるものはステーキとサラダにきまっていた。

ステーキにしても、フランス人は生焼きの血のしたたるようなステーキを好きだから、生肉ファンは多い。生肉のひき肉を食べるのは気味がわるいと思う日本人は多いけれど、カーナヴァルなら食べやすいと思う。

ブラッセルで働いていたとき、カーナヴァルというオープンサンドイッチをたのんだら、トーストの上にこの味つけをしたステークタルタルがうすく塗ってあったが、ペースとなどよりずっとおいしいと思った。だいたいフランスから北欧にかけて、といっても北欧は知らないけれど、ドイツやオランダ、デンマークでは夜食にオープンサンドイッチをよく食べる。

珍しいのでは、オランダにいたとき食べたあなごのオープンサンドだ。あなごは軽くスモークしてあったので、トーストと味があって、おいしかった。

スイスでたべたオープンサンドは、白パンの上にきゅうり、トマト、卵の固ゆで、ハムを切ったのをゼリーで固めたものがのっていたが、口あたりが柔かく、つめたくておいしかった。

「アルザス」は名前の通りアルザス料理が得意だったが、この店は何の料理もひどく値段が高かった。ところが、私たちのようにモンマルトルで働いている人たちには、お客を連れてきてもらう場合も考えて、お礼の意味か、四割引きで食べさせた。

白いテーブルクロスをかけたテーブルのならんだうす暗いレストランの横はバーで、私たちはバーの止り木に坐って簡単な食事をした。

リュシエンヌはビールを飲みながらシュークルートをたべる。シュークルートはドイツではたしかザウエル・クラウツとかいい、酢づけのうす切りキャベツにソーセージ、ベーコン、ハム等をつけあわせた温かい料理だ。私はブドー酒をのみながらステーキや焼いた鳥の足などたべたが、高級レストランだけあって、味は品がよく、もりつけは適当で、夜食むきだった。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

のどを使うプロのタブー食と駅弁『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(5)

日本の駅弁の思い出は残念ながらあまり良いものではない。冷たくくっついた俵おむすびのまずさ。今だったら食べてみたい銘柄がいろいろあるのになー。
そういえば、昨年帰国時に551に行列ができていて驚いた。20年前、毎日のように阪急を利用していたころはいつつぶれるんだろう、と思ってたのに。ちなみにあそこの肉まんは相変わらずおいしくなかった。具と皮の間に大きな隙間があるんよね。

なすのおつけものは本当に悪いのかしら? 私はクラシックを歌っていたころ、相当ノドに気をつけ煙草もすわなかったが、なすが悪いと感じたことはなかった。ただ辛いものは、後でノドがかわくから、今でもステージに立つ前は食べない。

はじめてパリに行って働きはじめたころ、ある夜、仕事の合間に、仲間の歌手たちとお茶を飲みに行った。私が何気なくアイスクリームを注文したら、皆が異口同音に、
「アイスクリームたべるの? 歌う前なのに」
と避難がましくいったので、私のほうがびっくりして、
「たべちゃいけないの?」
ときいたら、
「つめたいものは一番声によくないのよ、やめた方がよいわ」
といわれた。
(中略)
砂原美智子さんもスイス公演の終った夜、晩餐のデザートにアイスクリームを注文してマネージャーにひどくおこられ、その後はやはり冷たいものはのまなくなったということだ。
ところがある夏の夜、レヴュに出ていて、ちょっとの幕間に、あまり楽屋がむし暑いので外のキャフェまで涼みに出た。そして、しばらくたべなかったアイスクリームをつい食べてしまった。楽屋に帰ってすぐ衣装を着かえ、ステージに出て歌いはじめたら、急にノドがいがらっぽくなり、歌っている最中にセキが出てきて、それをこらえるのに冷汗をかいた。
(中略)
私はいつも魔法瓶のなかにお砂糖を入れない熱い紅茶を入れて持ち歩き、歌う直前に少しのむと、なんだか歌いよいような気がしている。
しかし、砂糖気のあるもの、たとえばあめなども歌う前になめていると、歌っている最中に、なんだかタンがからむようだ。
黒豆の煮た汁がよい、というけれど、たしかに黒豆の汁は声が出しよくなるようだが、ただめんどくさいので、だれかが特別に作ってくれない限りはのまない。

歌う一時間前に、おそばならば軽くてよいだろうと思って天ぷらそばを食べ、さて歌い出したら、安天ぷらのおくびが出そうになる上、汁をのんでいたから胃が一杯で、深く息をすいこむのがつらいことがあった。汁ものは駄目だということをこのとき学んだわけだが、歌う直前おなかがすいたら、やはりサンドイッチ等ちょっとつまむのがよいようだ。
(中略)
朝は宿屋の朝食、いわゆるおみそ汁に卵、のり、というわけで、その後はリサイタルの約二時間前に昼食としてサンドイッチ、おすし、または中華風のいためそばなどをたべる。汁ものは歌いにくいときめて以来、好物のなべ焼きうどんやラーメンが食べられなくなったのは残念だ。

だいたいお弁当というものは楽しい。お弁当は誰もがちょっと懐しい思い出を持っているのではないだろうか。
小学生のころ、友だちとおかずのとりかえっこをしながら食べた母親やおばあちゃまの作ってくれたお弁当、遠足に持って行ったのり巻きやおにぎりのお弁当、女学校に通っていたころだって、お昼休みになってお弁当を開くときは「今日は何のおかずかな」と期待を持ってお弁当のふたをあけた思い出を、誰でも持っていると思う。
(中略)
お弁当箱の中には卵焼きや、甘辛く煮た肉団子、青味を添えるためにそら豆とかいんげん豆の塩ゆで、または小さいきゅうりをそのまま塩もみにしたのなど入れ、別のお重にごまやけずりぶしをまぶしたおにぎり、のりをまいたおにぎり等を入れておく。おにぎりのなかみも梅干の場合は種をぬいてちょっと砂糖をふりかけてから入れると味がよいし、こどもは種類が変った方がよろこぶので、梅干のほかにも、たら子を焼いて切って入れたり、たくあんのせん切りを丸めて入れたりした。
そのほか、塩鮭や、みそ漬やかす漬の魚をこんがりやいて身をほぐして、これをごはんにまぜてにぎったり、中に入れたりするのもおいしいものだ。
このお弁当は、昼食の後かたづけのついでに作っておけば、お客さまでいそがしい最中でも、こどもの夕食時間になったらお弁当箱とお重をこどもの部屋に持って行って、
「さあ今日は遠足よ」
とでも言おうものなら、
「こどもの遠足だから大人は入っちゃいや、僕たちだけでたべるんだァ」
などと有難いことをいってくれる。

もちろん、どの駅弁も皆たべてみたというわけではないけれど、いままで食べた駅弁当でおいしかったのは富山の「ますずし」、明石の「鯛寿し」、高崎、鳥栖の「鳥めし」、函館の「かにめし」、新宮の「めばりずし」。
それにもう一つ、信越線田口駅の「笹寿司」だ。
田口駅の「妙高笹寿司」、これはうっかりしていると買いそこなう。なぜなら、お弁当屋さんは「笹寿司」「笹寿司」などと大声はあげず、ひっそりと歩いているからだ。これはみな種類が違っていて、鱒、ささの子、しいたけ、わらび、卵と、みる目にも美しく、味もよく、郷土色にとみ、感激的なすてきな駅弁当だ。
日本の駅弁当は楽しく、また変化に富んでいるけれど、ヨーロッパやアメリカは、ハムかチーズのはさんであるコッペパンが食パンときまっているから、味気ない。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より