たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

戦後のアメリカからの恵み『らんたん』(9)

「いちご水」は私も憧れたぞ。活版のくぼみが厳かな村岡訳で読んだので。何よりも、何杯もおかわりした欲張りのダイアナも悪い、とアンをかばったマリラ、子どもに対してすげえこと言うなーと印象に残った。

身体を拭き、ゆりの服に着替えてさっぱりすると、道はいろりの前に座って、手品師のように食料を取り出し始めた。どんなルートを使ったら入手できるのか、パイナップルの缶詰やブドウ糖、ウイスキーの小瓶が次々に現れたのだ。

「まあ、竜宮城のご馳走みたい!」

そこに入っていたのは「朝食」「昼食」「夕食」と記された三つの箱だった。その中には、クラクラするほど眩しい色合いの缶詰や瓶詰がぎっしりと詰まっていた。コンビーフにソーセージ、ピクルス、ビスケット。主食になるものばかりではなく、タバコにチューインガム、チョコレート・バー、葉巻まで入っている。なくても生きていける嗜好品———。涙が出そうになった。こんなささやかだからこそ力強い楽しさを感じることを、自分はもうずっと禁じて暮らしてきた。はやる気持ちを抑えて、チョコレート・バーをほんのひとかけ、口に含んでみる。表面を覆うチョコレートコーティングが舌の熱で溶けていくと、柔らかなヌガーが歯と歯の間をネバつかせた。ひと噛みすれば、香ばしいナッツが溢れ出す。約四年ぶりの甘さとコクが舌をしびれさせ、ゆっくりと身体中に染み渡って、指先までをもカッと燃やした。

「そりゃ、私たち戦争に負けるわけねえ」

道は一人、ため息をついた。すると、周囲にとろけるような香りが広がった。このままだと一人で平らげてしまいそうなので、道は慌てて箱を閉じ、栄養失調の友人たちにせっせと分けて回った。

隣室から運ばれてきたのは、瓶入りのコーラと輝く銀食器に盛り付けられた湯気を立てるハンバーガーだった。ニューヨーク時代に、何度か口にしたことのあるポピュラーな軽食だったが、今の道とゆりにとって、こんなに新鮮で心ときめく組み合わせはなかった。口の中に唾が湧き、何年かぶりの牛肉の香ばしいかおりにクラクラした。ふっくらした焦げ茶色のバンズと食べ応えのある挽き肉の塊を一度に頬張れば、肉汁が溢れ出す。それを甘苦くてコクのある炭酸水でしゅわしゅわと流し込む快感といったら!!

フェラーズはある日、皮を剥いだばかりの鴨をぶらさげて一色邸を訪ね、二人をびっくりさせた。

「きょう鴨場で、皇室とGHQの交流を図るために天皇がハンティングした鴨を使って鴨すきパーティーが開催されたんです。そのお裾分けです。銃で仕留めるのではなく、網を使うというのが平和的で良いイメージになりましたよ。乕児さんは以前から、宮内省とGHQは早く打ち解けるべきだと話していらっしゃったから、まずお見せしたくて」

その夜、道が一色邸に顔を出すと、フェラーズからの贈り物である缶詰やビスケット、クラッカーのディナーが待ち受けていた。

(中略)

「みんなと一緒にこの家で過ごせるんだもの。それだけで本当に幸せよ」

お祈りの後、道はそう言って一道を見回し、缶詰をどんどん開けていった。サーディンの油っぽいにおいが食卓に広がり、ハムやチーズを載せて頬張る塩味のクラッカーの香ばしさがたまらない。

お手伝いさんが運んできたのは、ローストビーフのサンドイッチと紅茶と果物だった。

フェラーズの自宅で食べたものとはまた違う、皇室ならではの、さりげない贅の尽くし方だと、道は密かに目を見張る。

「なんだか、エリザベスさんは皇室から、とても大切にされていらっしゃるんですね」

たまに帰ってきても、英文科の生徒たちとお弁当を食べながら、その時々で夢中になっていることを早口でまくしたてている。すぐに胃に収まるものがいいと、口にするものもサツマイモ、トウモロコシ、おむすびばかりだ。

ふと、足元に目を転じると、大きな紙袋が置かれている。なんだろうと中を覗いてみたら、乗客一人一人に配られている昼食だった。サンドイッチにクッキー、スティック状のセロリ、ゆで卵、それにかける塩胡椒まである。殻をむいた卵に味付けしてかぶりついていると、ぴったりした服装の若い女性がやってきて、すかさず飲み物を注いでくれた。いつの間にか、雲の上にいるという感覚が薄れていった。

隣に母が居たら、それほど面白がっただろう。娘時代に憧れた富士山、そして夢中で追ったキャサリン・スティンソンの鮮やかな機影。そのもっともっと上を道は飛んでいるのだった。

贅沢は慎んだが、こちらでは比較的安価なメロンだけは、ほぼ毎日好きなだけ食べた。

「こんなに面白い小説、私、読んだことはないわ」

道は「赤毛のアン」を読み終えるなり、花子を河合寮の応接室に招いて、賛辞の言葉を伝えた。昭和271952)年の出来事だった。

(中略)

二人のもとに運ばれてきたのは、寄宿生たちが「赤毛のアン」をイメージして自分たちの手で作った料理で、花子を大いに喜ばせた。赤く澄みきった「いちご水」を一口飲み、道は首を傾げた。続けてサンドイッチを齧ってみる。鶏肉のコンソメゼリー寄せもつついてみる。まずいわけではない。でも、なんだかおかしいなと思ったが、寄宿生たちがわくわくとした表情で味の感想を待っているので、絶対に顔に出すまいとした。小説のように、アルコールや痛み止めが混入されているわけではあるまい。実際、目の前の花子は美味しそうに食べている。

柚木麻子著『らんたん』より

らんたん

らんたん

Amazon

豆料理の缶詰『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(11)

最低限の健康な食生活の原則として、いちばん簡単でシンプルに聞こえる助言が「1日1回マメ類をたべる」「ひたすら食べるものの種類を増やす」である。それを聞いてからChipotleでも必ずマメを入れてもらうようになったし(それまではメキシカン料理のマメは避けていた)、スーパーに行ったら何かしらひとつ初めてのものを買ってみるクセがついた。

ポークアンドビーンズの缶詰は英国人の義家族も大好きであるが、それについては私は共有するところがない。

豆というと、私は子供の頃とてもあこがれていたものがある。そのころ見た映画、アメリカの西部劇、カウボーイの物語などで大陸を横断する男たちが、夜になって焚火をかこんで、大きななべからブリキ製の粗末なお皿に何かとってたべているもの、それはいつも同じようなものだったが、あらくれた男たちが大切そうにお皿をかかえてフォークですくうようにして食べているものが、私はたべてみたくてたまらなかった。あるとき、
「何たべてるの?」
と父にきいたら、
「ポークアンドビーンズだよ、豆と豚を煮こんだおいしい田舎料理だ」
といった。
その後、私はアメリカ製のカンづめで、そのポークアンドビーンズというのをたべた。それはとてもおいしくはなかったが、期待していたような味がした。都会で、テーブルについて食べてはものたらなく感じるお料理でも、大平原の中で焚火を目の前にしてたべたら、これ以上おいしく満足するたべものはないと思われるような味なのだ。
(中略)
ごはんのおかずにはならないが、日曜日の昼食などに、これをたっぷりつくってサラダを添えて出せば、西部劇にあこがれている子供さんたちは、私同様、大いによろこぶことだろう。

だいたいヨーロッパ人は、日本人にうらべてよくグリンピースをたべる。カンづめももちろんだが、出さかりの頃は、グリンピースの中にベーコンをきざみこんで煮たり、またジャルディニエールといって、じゃがいもを四半分に切り、人参も大きめの乱切りにし、玉ねぎはうす切りにし、グリンピースと一緒に煮る。煮上ったら、水気を切って塩コショーで味をつけ、バタの一かたまりを入れて大まかにまぜあわせて食卓に出す。
(中略)
八百屋の店先に豆が一杯つまれる頃になると、私はつい買ってしまって、そしてむいてしまうから、つい食べるわけで、だからグリンピースの料理はよくつくった。

「何がたべたい?」
「しつっこいのがいい? それともさっぱりとしたうどん?」
「スパゲティでもいいわよ。それともスープとパンにする?」
そして皆のいちばん食べたいものをつくる。疲れた後でも、温かい夜食をたべて雑談していれば疲れもいやされるし、ときには雑談のうちに案外思いもよらなかったアイディアが浮かんできて仕事のたすけにもなる。

たいてい男のお客さまならお酒かビールが飲みたいのだろうが、それと一緒におせんべかピーナッツなどのつまみものをさっとすばやく出しておいてから、食事の支度にかかる。何か少しでも出しておかないと、食事の支度が長く感じられる。
だから、ハムがあれば薄く切ってくるくるとロールにして楊枝でさしたり、チーズがあればうすく切って出す。パセリがあればちょっとちぎって横にそえる。
さて食事だが何もない。といっても何かしら、あすの朝のための材料がある筈だ。
おみおつけに入れる筈だったお豆腐があれば湯どうふができる。こんにゃくがあれば味噌おでんができる。これは湯どうふと同様、土なべにコブをしき、こんにゃくは適当な大きさに切って、火にかけ、煮えているところを土なべのままテーブルに出し、別の皿に甘みそをつくって、それをつけて食べる。
(中略)
お客さまが来た場合、ある程度の材料を手に入れられないときは、卵が1コあれば、おいしいかきたまのおつゆをつくるとよい。
(中略)
これに、おにぎりでもつくってはどうでしょう。三角にむすび、いりゴマをつけたり、のりをまくのもいいし、焼きむすびにしてもいい。かきたまのおつゆとおにぎりと、おつけものを出せば、ちょっとしゃれた夜食になる。
それに、「茶づけでも......」といったのだから、ありあわせのお漬物にこぶやつくだにの類を出して、ほんとうにお茶づけを出すのもよいと思う。また、おだしを使ったのり茶、鮭茶などもよろこばれるでしょう。

揚げものなども、たねがないとき、人参、じゃがいも、さつまいも、みつば、ピーマン、玉ねぎ、それに焼きのり、となんでも揚げる。三色の取合せで、けっこうご馳走にみえる。
たつた揚げは、たいていトリや豚などの肉類でつくるが、野菜だって、たつた揚げにすれば、大根おろしやつけ汁をつくらないですむ。
(中略)
天ぷらも、ころもの中におしょう油と塩を入れて揚げると、味つき天ぷらとでもいったらよいだろうか、天つゆはなくても食べられる。
(中略)
あるてんぷら屋さんでは、衣の中に氷のかけらを浮かして、その中に具をつけてあげていた。
「氷を入れるとどうなるのですか」
ときいたら、
「衣が軽くさっぱりとあがるのです」
という答えだった。
衣を軽くあげるためには、粉と水と卵をまぜるとき、こねないことがかんじん。ぶつぶつがあるからといって、たんねんにつぶしてこねたら、衣は重くなる。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

戦時中『らんたん』(8)

ヨーロッパの大戦中の手記を読んでもよく「代用コーヒー」なるものが登場する。いよいよ危機の時、とっておきの本物を飲んだらいかにエネルギーが湧いたかということも。

「お疲れですよね。そうだ、授業が始まる前に、ご気分を変えてみませんか? 今日は涼しいですから、調理室に行って、ココアを淹れてきますわ」

ゆりは疑問を飲み込み、代わりに笑顔を作ってみせる。

「ココア? 今、そんなものが作れるの?」

道が目を丸くすると、ゆりはちょっと得意そうに言った。

「そうです。米ぬかを長い時間かけてゆっくり炒るとココアパウダーのような色と香りになるんですよ。たくさん作って瓶に保存してあるんです。ミルクの代わりに豆乳をつかいます。婦人雑誌で読んだんですけど、騙されたと思って、ぜひ、試してみてくださいね。お砂糖をほんの少ししか入れなくても、甘みがあって、なかなか美味しいんですよ」

(中略)

心配そうな彼女がココアの載ったお盆を手に立っている。有島さんの姿はいつしか消えていた。

「大丈夫よ。なんでもないわ」

慌てて言い、立ち上がってココアを受け取る。一口飲むと、香ばしさとほのかな甘みがいっぱいに広がった。

どの子も興奮で目は輝いているものの、芋や豆でかさ増しした雑炊ばかりの食生活のせいで、ひょろひょろに痩せて、頬はこけていた。道自身、味気ない少ない食事をできるだけよく噛み、水をがぶがぶ飲んで、必死で空腹をごまかしている毎日である。生徒の健康管理は今、一番頭を悩ませていることだ。独自のルートで手に入れたピーナッツバター、ハムやソーセージはたとえ少量になろうとも、全校生徒に行き渡るように注意して配っている。

ゆりも乕児も、しまった、というふうに姿勢を正し、ちらりと天井を見つめて、サツマイモや干からびた干し柿を齧った。

みんなが揃ったクリスマス礼拝と祝会は、星飾りもツリーもプレゼントもない簡素なものだった。けれど、それぞれ工場の休み時間に少しずつ練習したコーラスを発表したり、持ち寄った野菜でシチューを作ったり、恵泉が始まってからもっとも満ち足りた一日となった。

「監査員のみなさんを、ありったけのご馳走でおもてなししませんか? このご時世、どんな人でも、食べ物には敵わないはずですよ。園芸科が収穫した野菜で、欧米で出るようなコース料理は作れないかしら?」

美智子は、あっと目を見開いた。

「そうですね。素材は少なくても、彩りを豊かにして、品数さえ増やせば、目も舌も満足してもらえることでしょう。なにしろ我々の学園の表向きの目的は『食糧増産』なんですから」

(中略)

道の読み通り、冷えた手指を擦り合わせて恵泉に辿り着いた5人の監査員たちは、学園の応接室に通されるなり、感嘆の声をあげた。カボチャのマッシュ、青菜のソテー、サツマイモの甘煮、ジャガイモ団子、豆のコロッケ、カブのコンソメ煮。六皿もの温かな野菜料理に、新鮮な卵でつくったとろとろのオムレツ、ババロアにケーキ、果物までが並んでいた。彼らはしばし無言で、ご馳走を口に詰め込むことに夢中になった。

「いや、戦争が始まってから、こんなに美味しい食事をしたのは初めてです。一体どんな魔法を使ったのですか?」

監査員の一人が、食事の途中でフォークを置き、ようやく感に堪えぬように言った。美智子はすかさず答える。

「保存していたものもあるし、収穫したばかりの野菜もあります。我々の学校では、こうした非常時の乗り切り方も教えようと思っているんです」

「奥様といえば、私、ドストエフスキー本人より、その奥様が書いた本の方がずっと好き。『夫ドストエフスキイの回想』という本なの」

歌うような調子で玲子は急にそんな話を始めた。

「奥様はドストエフスキーの口述筆記も務めているのよ。もしかして、本当に文才があるのは、奥様の方なんじゃないのかしら。私、そんな気がするの。......あれ、なんだろう。この美味しそうなにおいは?」

ボイラーの蒸気に混じって、なんだか香ばしい海のにおいが広がっている。みんな、くんくんと鼻をうごめかし、辺りをきょろきょろ見回した。

「きゃ、見つかっちゃった」

俊子がすぐに舌を出し、アイロンの下からするめを素早く引き出し、作業着の下に隠した。アイロンをするめに押し当て、熱くパリパリしたせんべいにするのが、このところ生徒の間で流行っている。たね子は笑って、

「さっきお昼を食べ終えたばかりでしょ。おやつにはまだ早いわ」

と一応たしなめたが、見なかったふりを決め込んだ。俊子が恥ずかしそうにアイロン台の下にしゃがみこんで、するめをかじっている。甘いお菓子が手に入らなくなっても、女の子たちはあの手この手でおやつになる素材を探しては、少しでも美味しく食べるための情報を交換し合っていた。

「そうよね。いつか平和な時代が来たら、きっと日本でも上映されるよね。そうしたら、ここにいるみんなで一緒に映画を観に行こうよ」

珠子が叫ぶと、さんせーい、映画を観ながらあられをどっさり食べようよ、とあちこちから声があがった。

柚木麻子著『らんたん』より

らんたん

らんたん

Amazon

おつけもの、レタス『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(10)

スナッキングといえば、西海岸のおつまみとしての枝豆の浸透ぶりに驚く。日本食レストランで名指しするのはもちろんのこと、普通に冷凍の「エェダマァミィ」を買って家でも食べている。鮨店に加えてどんどん増えてるラーメン店が出してるんですかね。

一般の家庭では一月七日には七くさがゆを食べるのかしら、とそんなことが気になりながら、それでも、

「何か七くさがゆの材料をとどけて」

とたのんだら、水ぜりと大根を持ってきた。

「へー、大根も七くさなの」

と私は驚いたが、七くさとは七種類の「七草」と書くのかと思っていたら、「七種」と書くときき、もう一度びっっくりして、浅学のなさけなさをつくづく味わった。

七くさとは、「せり、なずな、おぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」といわれるが、すずなはかぶ、すずしろは大根のことなのだそうだ。

そこで仕方なく、大根、かぶは身も葉もこまかくきざんで入れ、せりもこまかく切って、塩味だけのぞうすいをつくってみたら、なかなかおいしかった。

昔から七くさにせりを使っていたにしては、日本人はあまりせりを使わなすぎるのではないだろうか。

レストランのビフテキのお皿の横に、せりの一つまみがのっているのはよくみる。脂っこい肉をたべた後、ひとつまみのせりを口に入れると、プンとせり独特の匂いがし、口がさっぱりしておいしいが、せりはもっともっと他にも使いみちがある。前にせりと赤かぶのサラダ、せりのおひたしのことを書いたが、せりのスープもおいしい。

(中略)

裏ごしで野菜をこしてなべのスープでのばし、塩コショーをしたら、うぐいす色をしたポタージュ・クレソニエール(せりのポタージュ)ができ上る。ポタージュといっても、このスープはあまりどろどろではなく、さっぱりした口ざわりで香りもたかくおいしい。

私はだいたい夜おそくまで仕事をしているので、夕食をすませていても、ねる前にちょっと何かたべたい時が多い。そんな時は、あまり胃にもたれないものがよいので、スープ類をよくつくる。

日本的な汁ものや中華風では、やはりごはんがほしくなるので、西洋風なスープにパンがよい。

スープといえばきこえはよいけれど、要するにありあわせのものを何でも入れて、ぐつぐつ煮こんだものをたべるのだが、野菜でも、ハムや肉を使う場合でも、あう、あわないがあることに気をつけないと失敗する。大根、かぶ、白菜などは、西洋風のスープにはなんだか向かない。

(中略)

さっぱりしすぎると思う人は、コッペパンを1センチ幅に切るか、食パンなら四つ切りにして油で揚げておいて、でき上ったスープのなべに入れ、ぐらぐらっと煮たたせてからスープと一緒にたべる。

(中略)

食パンにしても、ただトーストにするだけでなく、ちょっと工夫してたべるとよい。

焼き上ったトーストに、にんにくを半分に切り、その切り口をごしごしとなすりつけてから、バタをぬれば、ガーリックトーストができる。

もっと本格的なガーリックトーストをつくる気があるなら、まず、にんにく1コ皮をむいてからおろしがねですり、これにバタと少量の塩をまぜてねり、これをパンに塗ってから天火で焼く。

スープのつけあわせには、もってこいのトーストで、にんにくのきらいでない人なら、何枚でもたべられる。

また、牛乳と卵があったら、卵をよくほぐし、牛乳でのばしてから、お砂糖少しと塩少々入れてかきまわし、食パンを半分に切ったのをその中にひたひたにつけて、フライパンにバタをたっぷりととかして、その中で両面こげ目がつくまで焼いて、フレンチトーストをつくってみるのもよいと思う。

牛乳と卵を吸ってふかふかになったパンが、黄金色に焼き上っていて、甘くてちょっとバタくさくておいしいものだ。甘党の人には蜜またはジャムをそえて出せばよろこばれる。

この場合は、むしろスープなどより、紅茶かミルクをそえて出す方がぴったりしている。

フランス人は、私たち日本人がおつけものを必ずたべるように、レタスのサラダをよくたべる。それで私も、なんとなく習慣になってレタスをよくたべるが、二枚のガーリックトーストにレタスの洗いたての葉を二、三枚はさんでパラパラッと塩をふり、バリバリたべるとじつにおいしい。

ちょっと人さまにみられては困るような大口をあかなくてはならないし、二枚のトーストの間からはレタスの葉がはみ出しているのを、バリバリたべるのだから、決してお行儀はよくないけれど、ぜひ一度ためしてごらん下さい。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

ピーナッツ・ウィーク『らんたん』(7)

「ピーナッツ・ウィーク」、遠い記憶が刺激された。似たような誰かにこっそり親切にするならわしのことをどこかで聞いた気がするのだが、はっきり思い出せない。自分でやっていたら絶対に相手のことを覚えているはずなので体験はしていないのだろうが...。特に子どもにとっては、もらうことばかりでなくささげることを学べる素敵な催しだ。

三越の手前で屋台を出しているバナナの叩き売りの軽妙な掛け声と爽やかな甘い香りに惹かれ、道とゆりは足を止めた。道にとって、亡き祖父の家の庭に植わっていたのに、ついに食べることがかなわなかったバナナには思い入れがあり、こんな風に気軽に輸入物を買えるようになってからは、メロンと並んで大好きな果物となっていた。

菊栄は可愛いでしょ、と両手にうずらを乗せ、得意そうな顔をして差し出した。この子の卵ね、三越デパートが買い取ってくれるのよ。あそこの食堂の上品なおすましの中に三つ葉と一緒にちんまり浮いているのがうちの卵なの、と得意そうに語った。

サンドイッチと冷たい紅茶の瓶を手にした乕児がドアのところに立って、あきれた顔で笑っている。

創立祭では、もう配給制になって貴重品だというのに、砂糖を大さじ一杯ずつ、全校生徒が各家庭から持ち寄って、二千枚ものクッキーが焼かれた。感謝祭では校内の至るところに、果物や野菜をたっぷり盛り上げた籠や着飾ったカカシが置かれ、邦子も者珍しくてしげしげと眺めていたが、考えてみれば敵国の行事ではないか。

「美術さんも大道具さんも、みなさん素晴らしい感覚を発揮してくれました。さあ、あとはみんなで、ご馳走を好きなだけ食べましょうね」
化学室に戻ると、テーブルクロスの上には、父母会が用意してくれた、竹の皮に包まれた熱々のちまきと熟した柿、蒸かしたてのサツマイモが並んでいた。道先生は「さ、どんどん食べましょう。そうじゃないと私が先に食べてしまいますよ」と口をびっくりするくらい大きくあけてお芋を頬張るので、邦子もついついみんなと一緒に笑ってしまった。久しぶりの甘みが身体に沁み渡るようだった。クリスマスの讃美歌を歌って、会は幕を閉じた。

みんなで食べたおしるこは熱々で、贅沢だと思いつつ、やっぱり舌がじんとするような甘さが嬉しかった。

椅子に座り、出された紅茶を受け取った。一口すすったら、罪悪感が口の中いっぱいに広がり、咄嗟にうつむいた。
「安心して。そんなにお砂糖は使ってないわ。塩をほんの少し入れて、甘さを引き立ててあるだけ。贅沢ではないわ」
道先生はこちらの意を察してか、優しくそう言った。カップを両手で包みながら、美味しい、甘い、あったかい———。そんな風に思うことさえ、今の邦子には申し訳なさがある。

パンやジャム、お菓子、日用品を籠に詰めて持たせると、学校から歩いて約20分、緩やかな坂の途中に佇む三階建ての洋館、タッピング邸に生徒たちを向かわせた。
(中略)
「まあまあ、ありがとう。美味しそうなジャムね。それにクッキーまで。道にどうぞよろしく伝えてね。よければ、お茶を飲んでいってちょうだいな」
(中略)
恵泉生ばかりではなく、近所の人々もまた、ジュネヴィーヴにパンやバターを密かに届けていた。この坂道は今も桜上水に「タッピング坂」として残っている。

美智子が留学先で経験し、恵泉に持ち込んだ「ピーナッツ・ウィーク」という催しは、12月をおおいに盛り上げた。生徒に一人一粒ずつピーナッツが配られ、殻の中から級友たちの名前を書いた紙が出てくる。その相手に気づかれないようにこっそり優しくしたり、小さな贈り物を届けたりしながら2週間を過ごし、最終日に誰が誰の「ピーさん」だったのか、明かされるというゲームだった。生徒たちはそれぞれまだ見ぬ誰かに支えられていることを意識し、同時に誰かを思いやりながら、ホリデーシーズンをウキウキした気持ちで終えたのである。

籠いっぱいに詰め込んだのはキルバン先生とウェルズ先生への花と果物、ひいらぎと松ぼっくりのリース、みんなで少しずつ粉や砂糖を持ち寄って焼いたフルーツケーキだ。予想通り憲兵が恐ろしい目つきで飛び出してきた。
「在留外国人は家族以外の面会は禁じられている。何度言ったらわかるんだ!」

「一休みしたら、みんなでお弁当を食べましょうね」
どの弁当箱も芋やカボチャや豆ばかりの乏しい中身だったが、みんな一緒に草の上で食べると格別に美味しく感じられ、忘れられない一日となった。

柚木麻子著『らんたん』より

らんたん

らんたん

Amazon

おじやは太る?『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(9)

私は80年代の大半を地方で過ごしたが、うちにはなぜかサフランがあってたまに食卓に黄色いご飯のピラフやドリアが出てきたんだよな。母はチャレンジャーだった。
アメリカに来て体感しているが、ちゃんこなべとかご飯みたいな元の素材の形が見えるものは、パンとかパスタに比べたら全然太らないと思う。

グラティネはパリジャンの好きな夜食、プール・オ・リは巴里から南にさがったリヨンの街でよく食べるお料理だ。そしてそのリヨン市から南に下がる地中海に面した南仏、特にマルセイユではブイヤベースが有名ということになる。
マルセイユの街ヴィエイユ・ポルト、古い港と呼ばれる海ぎわにはたくさんのレストランが並んでいる。
(中略)
モンテ・クリスト伯のストーリーで有名な全島牢獄だったこの島は、地中海の碧い碧い海の中にある。美しい地中海の海、それからシャトー・ド・イフをみるために、そしておいしいとりたての魚料理をたべるために、人々はコの字形の海岸通りをゆききする。夜になると大変な人出だ。
「新しいエビがありますよ」
「カキのとりたてはいかが!」
「この店独特のブィヤベーズ!!」
店の前に客よびがいて、やかましく旅行者たちを誘惑する。
「ブィヤベーズ」、この魚のスープは、漁夫たちだけが作り、そしてたべていた料理だったということだったが、いろいろな種類の魚を大なべになげこんで、オリーブ油とサフランの粉を入れ、たっぷり水をそそいで強火でぐらぐら煮るこの料理は、たしかに漁師町の香りに満ちている。
パリの高級レストランででてくるヴィヤベーズは、制服の給仕がおごそかにサーヴィスする大きなエビなどがついて気取ったよそいきのブィヤベーズ料理だ。
マルセイユの店のおもてでは貝類を売っている。魚屋兼料理屋のあまりきれいでもない店に入ると、ほかの料理など目もくれず、誰もがこのブィヤベーズを食べている。大きいスープを入れるポットに、濃い黄色のスープがたっぷり入っていて、上にはフランスパンの切ったのがごろごろ浮いていて、下には名もわからぬ骨の多い魚がたくさん沈んでいるブィヤベーズだ。
スープ皿にパンのかたまりが入ったスープをとり、別皿に魚をとり出して、魚をたべながらこのスープをのめば、お腹はいっぱいになってしまう。
ブィヤベーズでおいしいのは、魚の味よりも、濃いサフランの匂いのするスープで、魚は出がらしの上、雑魚を使うから骨も多くて、決しておいしいとはいえない。だからマルセイユでは、魚よりもスープを食べるために、パンをふんだんに浮かしてお腹をいっぱいにさせるのだが、高級料理店では、エビをつけたり、白身の魚や貝類をつけあわせて、魚もおいしくたべられるようにしている。
(中略)
このスープの上に焼きパンか揚げパン(中略)を入れ、パセリのみじん切りをふりかけてだす。大なべの黄色いスープの中に色とりどりの魚がごろごろ沈んでいるのはステキだ。
(中略)
日本には粉のサフランはなく、輸入品のサフランのめしべ、おしべが売られている。これは水につけておいて中火でよく煮、一度こした汁を使う。これはブィヤベーズに使う魚が、どんなつまらない安い魚でも使えるのだから、サフランが少し高くても、決してぜいたくな料理とはならない。
もちろんぜいたくに気どりたい人は、パリの高級料理店よろしく、エビや具をうんと入れれば、もっとバラエティが出るわけだ。スープはちょっと口ではいい表せぬほど、こってりとしておいしいし、あたたまるし、この料理だけで、西洋ふうならばサラダの一皿をつければ十分。日本流になら、この後おつけものでごはんを一杯いただけば立派なディナーを食べた気分になれる。
この場合も土なべのまま食卓にだすのが趣がある。

私は現在の伊勢ノ海親方が柏戸といわれたころから親しくしていたので、ちゃんこなべを作るところをみたこともあるし、食べたこともある。また、もとお相撲さんだった人が割烹旅館をしていて、そこでは、ふだんお相撲さんが食べているより、もっとこった、おいしいちゃんこなべを食べさせてくれるので、ときどき行くが、ちゃんこなべは、あっさりしているので、いくらでも食べられる、たのしいおなべだ。
まず、こぶだしをたっぷり大なべに入れる。具は白身の魚、季節の菜っぱ類、おとうふ。これをなべの中にじゃんじゃん入れて、煮上ったらポン酢でたべる。ポン酢はこのごろ出来たのを売っているから、それにみりんとおしょう油で味をつける。別に大根おろしとねぎのみじん切りをそえておいて、各自よろしく好みの味でたべるのがちゃんこなべだ。
(中略)
おなべの具をたべた後、ごはんを入れて、おじやを作るとおいしい。でもおじやは太るのだそうだ。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

うなぎ『らんたん』(6)

私はたぶん生涯authenticなうなぎの蒲焼きを食べることはかなわないだろうなという予感がある。まあ、食べられたとして違いがわかるかといえばわからないかもしれないが。

昭和21927)年4月、道は日本に帰国した。

一年ぶりにタクシーで軽子坂をのぼり、甘辛く香ばしいにおいに引っ張られるようにして、花崗岩を敷き詰めた小径を辿っていくと、ゆりが好物のうなぎを焼いて待ってくれていた。

お弁当の時は必ず温かい味噌汁やスープが提供され、よく見れば具がほとんどないことも多かったが、それだけでも生徒は豊かな気持ちになった。お弁当を忘れた子には、道が自分の昼ごはんをあげるということもあった。

ボナ・フェラーズが二度目の来日をしたのは、そんな昭和5年の夏のことだった。湘南・片瀬の小さな別荘は、道がくつろいで過ごせるように、と乕児とゆりがそれぞれアイデアを出し合って親戚の建築家に作らせた和洋折衷の凝った建築だった。

(中略)

この別荘の最初の客として、万年中尉のフェラーズと結婚したばかりの妻、ドロシーを迎えた。手作りのすき焼きでもてなすと、彼は義子を膝に載せたまま、あの頃のようにたくさんおかわりした。

「道さんとゆりさんにご馳走になったあの味がずっと忘れられませんでした。ドロシーにも食べてもらいたくて、アメリカでもしょっちゅう作ってみたんだけど、なかなかこうはならないんですよ」

食事が進むうちに、彼はぎょっとすることを言い出した。

「来日の目的はもちろん、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの研究をさらに深めることにあります。妻の節子さんにお会いする手はずも整っています。彼が亡くなったのはもう25年も前ですが、今でも書斎をそのまま残しているそうで、ぜひ見てみたくて」

「えっ、まだ好きだったの?」

「みなさん、もう寒いわ。中にお入りなさい。ココアとポップコーンが冷めてしまうわよ!」

お手伝いのおりんさんの焼く香ばしいマフィンのにおいが二階まで流れてきた。髪を整え、生徒たちの揃う食堂へと下りていった。

(中略)

料理上手なおりんさんがそれぞれの好物を順に作ってくれるので、食卓に向かうだけで、まるで世界旅行をしているような気分になれた。今日はアリス・スズキの好物だというマフィンと炒り卵にソーセージ、ミルク入りのコーヒーだった。昼食とおやつは生徒たちが協力して作ることになっているので、時たま怪しげなメニューが登場することがあり、道はできるだけ朝食をたっぷりとるようにしていた。道は「食事中はみんなが楽しくするように心がけましょう」としながらも、銀製のナイフとフォーク、リングでまとめたナプキンを並べた食卓で、かつてサラ・クララ・スミス先生がそうしてくれたように日々、少女たちにマナーを教えている。

(中略)

年代物のストーブの上では、りんごのジャムがぐつぐつと煮えていた。

「新渡戸先生のお見舞いで、築地の聖路加病院に行くつもりなの」

道はコーヒーをすすりながら言った。

(中略)

「今すぐ走って果樹園から、美味しいみかんをとってこなくちゃ!」

「そうだ、このマフィンも持って行っては?」

少女たちは朝食が終わるなり、たちまち散り散りになった。

しばらくは沈んでいたタエだったが、台所に入って買ってきたデザートの材料を広げると、徐々に元気を取り戻していった。内部生たちに手伝わせて、くるみを刻み、鍋でチョコレートや牛乳、お砂糖を練り上げていく。

「すごく美味しい。ほろほろって口の中で崩れて、すぐに消えて、とっても甘くて、風味があって」

冷めて固まったファッジの欠片をつまみ食いした生徒は、目を丸くした。

「チョコレートファッジよ。アメリカではポピュラーなおやつなのよ」

タエは得意そうに言って、それを一口大に切り分けていく。

「あとで作り方を書いたものをもらえないかしら」

「喜んで!」

木ベラを手に、女の子たちは口の周りをチョコレートだらけにして笑い合った。ファッジを前にすると留学生たちもまだまだあどけなく、競うようにして頬張った。

(中略)

「チョコレートファッジはいかがですか?」

「しぼりたてのグレープジュースはいかがですか?」

「グレープフルーツの皮で作ったマーマレードもありますよ」

「サンドイッチにホットドッグ、お紅茶もございまーす」

留学生も内部生も一緒になって屋台に立ち、声を張り上げる。珍しくて美味しそうなにおいにつられて、生徒や保護者はもちろん、訪問客もたちまち集まってきた。お菓子や軽食が飛ぶように売れた。留学生たちのタップダンス発表会も大喝采を浴びた。

「ありがとう、あなたたちのこと忘れないわ。船の中でぜひ、これを食べてね」

そう言って進み出た第一寮代表の高等部生が差し出したのは、みんなで力を合わせて作ったチョコレートファッジの包みだった。

柚木麻子著『らんたん』より

らんたん

らんたん

Amazon