たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

トマトとシャンボン『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(18)

XXを食べると疫痢になる、という親の心配は向田邦子のエッセイにも書かれていたな。

「トマトだけ切ってくれればよいわ」

といって、トーストにトマトをはさんで、

「あーおいしい」

なんて思っているのだから、人間の好みも変るものだ。トマトを好きになったのは、考えてみれば戦争中からだ。

(中略)

ちぎりたてで、まだほのかに温かいトマト、塩もつけないでかぶりついたら、とてもおいしいとは思わなかった。しかし、なまの果物をたべているような喜びを感じた。

だいたい汁気のある果物は、かぶりついてたべるにかぎる。

(中略)

「桃はナイフとフォークでたべちゃおいしくない、フィンガーボールで指を洗えばよいのだから、かぶりつきなさい」

といって、自分からガブッと桃にかぶりついた。

 

トマトを使った料理は、地中海に面したイタリア、スペインではよく食べられるが、フランスでも、料理にプロヴァンサル(プロヴァンス風)という名がついていたら、かならずトマトを煮こんだソースのかかった料理だ。

トマトの入ったソースは、じつによく料理につかわれるし、たしかにおいしいが、トマトそのものを油で焼いても、おいしいものだ。パリで私が長いこと下宿していたロシア人のマダムは、トマトにつめものをして天火で焼くのがとくいだった。とくいだったというより、夏場になってトマトが安く買えるようになると、ひき肉をつめるだけで焼く料理は、安あがりで経済的ということもあったからだろう。

(中略)

これは天火で焼いて、肉のなかまでよく火が通り、まわりのトマトはやわらかくなったのを、フーフー吹きながらたべる料理だが、サラダとしてつめたく作ったスタッフドトマトもおいしいし、見たところ、お客さまむきだ。

 

このスタッフドトマトに入れるものはまだまだある。じゃがいもとにんじんを小さい角に切ってゆき、グリンピースのゆでたのと、みじん切りの玉ねぎをマヨネーズであえて中に入れてもおいしく、またカレー粉でご飯をいためて、塩コショーを少し強めにつけたのを入れてもおいしい。

ご飯にグリンピースをまぜ、フレンチドレッシングであえて入れても、ご飯サラダでなかなかおいしいし、マカロニサラダを入れてもボリュームのあるサラダができる。

 

小学校のこと、遠足にゆくと、お友だちとよく、おべんとうの分けっこをしてたべた。

そのなかに、私は一度も口にしたことのないものがあった。などというと、いったい何かしらと思われるに違いないが、なんのことはない、ハムのサンドイッチだった。

(中略)

なかでもハムは、食べて疫痢になった人がいるとか聞いてからは、母はそれをおそれて食卓にのせなかった。たまにたべさせてくれるときは、かならず油でよくいためた。だから、私は小学校でお友だちからサンドイッチをもらうまで、ハムというものは、はまではたべられないものなのだ、と思いこんでいた。

ハムに限らず、「たべちゃいけません」といわれるものが、こどものころには数えきれないほどあった。

 

一人でホテルに近いレストランに入り、さて何か注文したいと思っても、メニューに書かれているフランス独特のよみにくい字では、なんのことかよく読めもせず、仕方なく、そのときふと思い出した言葉を口にした。

それは「ジャンボン(ハム)」という言葉で、ギャルソンがすぐわかって、やがて大きな皿の上に、日本では見たこともない、ハガキぐらいの大きさの長方形のハムが2枚のってきたときは、うれしかった。そして、それからしばらくは「オムレツ」「ビフテーク」と、この「ジャンボン」で暮した。

 

ポタージュに、ジャンボンに、サラダ。これがフランス人の典型的な夕食のメニューだ。だから、ジャンボンとひとくちにいっても、いろいろな種類がある。

一般的によくたべる、ただジャンボンとよばれるハムは、ハガキ形のローストハムで、お店にゆくと、うすく機械で切ってくれる。じつにすごい売れゆきだし、フランスにいると自然とフランス人の生活にそまるせいか、私も週に少なくとも二回くらいは、このハムをたべたし、また食べさせられた。

このジャンボンより高級なのに、ジャンボン・ド・ヨークがある。これは、豚の腿をハムにしたもので、ふつうのジャンボンよりうすいピンク色で、お店の人がひらたい肉切り庖丁で、うすくうすく切ってくれる。これはご馳走の部類に入り、値段もずっと高い。

またイタリア、スペイン、南仏でよく食べ、パリでは高級料理の一皿として出される燻製風のジャンボン・ド・パルムがある。

これも、うすくうすく切ってたべるが、レストランでは、給仕長みずから庖丁をもって、客の目の前でうすく切るのが自慢だ。

燻製だから、味がこくて、鮭の燻製に似て非なるもので、鮭の燻製同様、パリでは珍重される。

 

ふつうハムは、ハムだけが一皿になり、横にピクルスをそえるが、変ったお皿に「ハムとメロン」というのがある。

メロンの上に、うすく切ったジャンボン・ド・パルムがぺろっと載っているもので、はじめて見たときは、そのとりあわせの奇妙さにゾオッとなったが、食べなれたら、ハムとメロンというものは合うものだということを発見した。

(中略)

ハムサンドもおいしいが、二流、三流のレストランや駅弁で売られているハムサンドのハムは紙の如くペラペラにうすく、両側のパンが厚くて、あまりおいしいとはいえない。やはり、パンはうすく切って、バタとからしをぬったのをこってりつけて、あまりペラペラでないハムを入れたのがおいしい。

キューバでたべたキューバ風のサンドイッチは、少しぜいたくだけれど、すばらしくおいしかった。ハムサンドなのだが、うすく切ったハムを六、七枚パンの間にはさんで、ハムでこんもり盛り上ったサンドイッチなのだ。

(中略)

アメリカでも、ダグウッド式サンドイッチとでもいうのか、なかみの多いサンドイッチがたくさんある。

レタスに卵、レタスにトマトにベーコン、チーズにレタスに卵など、いろいろのとりあわせがあるが、四角いままのサンドイッチを、はしあkら大口をあけてパクパクたべるのは、じつに楽しくておいしいものだ。

 

アメリカ料理の一つに、ハムステーキがある。1センチ半くらいの厚切りのハムをバタで両面じゅっと焼いて、焼いたパイナップルをつけあわせにする料理だ。アメリカ料理というより、ハワイ料理なのかもしれない。(本式のハムステーキは、豚の腿を丸焼きにして、そぎ切りにしてたべるが、これはヨーロッパでも高級料理とされている)

アメリカの中華料理店でたべる酢豚にも、パイナップルがかならず入っているところをみると、豚とパイナップルは相性ということにアメリカ人はきめたのだろうか。

(中略)

西洋料理で甘いのは、私は、どうしても好きになれないので、パイナップルなど添えず、ほうれん草をゆでて裏ごしにし、塩コショーで味つけをした。青いどろっとしたのと食べるのが好きだったが、お客さまのとき、ふと思い出して、つけあわあせにパイナップルを焼いて出したら大変よろこばれたので、びっくりして、それ以来、ハムステーキには、やはりパイナップルをつけることにしている。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

肉畜とわたし『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(17)

ニワトリを絞めてカレーを作る体験をさせてもらったのは貴重だった、と肉を買って食べるたびに思う。
畜産、屠畜、流通を誰かがやってくれているのだということ。そして、できればたぶん、週数日でも食べない日を作って地球全体の消費量を減らしていったほうがいいということ。

リヨンの街でたべたケネル・ブロンシェ、これは、白身の魚をすりつぶした西洋のハンペンで、もちろんパリでも食べるが、パリではこのハンペンは、ソーセージのような形のまま蒸し上げたのにクリームソースをどろっとかけて出す。このリヨンのは違っていた。
グラタン皿にケネルをおき、クリームソースをたっぷり、ケネルがかくれるほどかけて、粉チーズをふってから天火で焼く。そしてチーズとクリームがブツブツ煮えて、まるでケネルが怒って動いているようなのを持ってくる。舌がやけるほど熱くて、やわらかくて、おいしかった。
コキーユ・サンジャックも日本人の口にあうおいしさだ。帆立貝、芝えび、白身の魚、シャンピニオンなどのコキールを、帆立貝の皿の中に入れて天火で焼いた料理で、こってりした味だが、貝の中に入っているのだから分量は少なく、くどく感じない。冷えた白ブドー酒と食べたなら感きわまってしまう。サンジャックとよばれる帆立貝は、にんにくのしぼり汁にひたして、バタいためで食べることもあるが、これもまた、なかなかおいしいものだ。

トリップは牛の臓物類をこまかく切って煮たもので、もとは、スペイン料理かもしれないが、なにが牛の何なのやらわからない、見なれない皮のようなものやゴムのようなものが入っていて、こってりしているのに、味もあるような、ないような、不思議な料理だ。ごった煮の中からその一片をフォークでとり出し、からしをつけて食べるが、食べなれるとなかなかおいしく感じるようになった。

スッポンといえば、パリでもスッポンのコンソメは一流のレストランで出す。スープはよい味だが、スッポンの身は底のほうに小さい角切りで五つ六つ、ちょろっと入っているだけで、京都の「大市」のようなぜいたくさはみられない。

豚の足はドイツではよくたべるらしいが、ドイツではグツグツ煮てたべたり、ゆでたのを酢づけにしてたべるようだ。
はっきりした味のしない軟骨ふうのものは、たよりない味なのに忘れられない味でもあるらしく、私は仕事の帰りに、よく豚の足をたべに出かけたものだった。

どんなおそうざい屋さんでも売っているものに、ミュソーという、ハムをうす切りにし酢づけにしたような、コリコリしたものを売っている。
はじめなんだか知らずに、それでもさっぱりしてなかなかおいしいので、よく食べていたら、
「それは豚の鼻だ」
ときかされてびっくりした。
そのほか、珍しいものでまたおそうざい屋さんにあるものでは、アンドゥイエットという豚の腸だかなんだか臓物ばかりをソーセージふうによせた、ちょっとプンと匂う大形ソーセージがあった。うす切りにし、サンドイッチにはさんでたべるが、
「お前はアンデゥユだ」
とどなれば、ケンカ言葉としては最高の侮辱言葉で、「アンデゥユのような奴」といえば「バカ野郎」の代名詞にもつかわれた。
「共食いしてるんじゃない?」
「どうせそうですよ」
などといいながら、アンドゥイエットのサンドイッチを楽屋でほおばったこともあった。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

油くさいわ『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(16)

「ランチから帰ってきた人の油くささ」といえば京都で勤めていた1年弱の間を思い出す。途中まで何のにおいなのか謎で、冷気の中を歩いてくるとこういうにおいになるのだろうかと考えていた。決まった定食店かラーメン店に行くのが原因であることは徐々にわかってきた。

日本で食べられないものから書いてみると、まず食べたいと思うのはグルヌイュ(食用蛙)だ。

エスキャルゴ(かたつむり)の料理は有名だが、日本で、

「エスキャルゴっておいしいわ」

といえば、

「へー」

といって、いやな顔や変な顔をする人が多い。

(中略)

食用のエスキャルゴは小さい貝のようなもので、北海度のツブ、北陸のバイに似ている。

札幌の町にはツブ焼き屋さんというのがあり、ちょうど一にぎりできるくらいの渦巻きのある細長い貝の中に、しょうが入りの甘辛い汁を入れて焼いている。グツグツ煮えたっているのを、楊枝でさしてぐるぐるっと指先をまわすと、するりと貝が出てくる。残りの汁が熱くて、しょうがの匂いがぷんとして、とてもおいしい。北陸では、同じような貝をバイといって、煮てたべる。

エスキャルゴは、バイよりまたずっと小さく、口のところににんにく入りのバタをたっぷりのせて天火で焼き、熱いところを、フーフー吹きながらたべる。

パリにいたとき、夕食にフランス人の友人をまねき、まぐろのお刺身としめ鯖を出した。皆おいしいおいしいとおかわりをして食べたあげく、

「これはなに?」

ときくので、

「これがおさしみよ」

といったら、

「へえー」

とおどろいていた。彼らは、

「日本人ってなまのお魚を食べるってほんと?」

といかにもあきれたといったふうに聞いたから、わざわざ食べさせてみたのだが、彼らは生きたお魚ときいて、海からとれたお魚を、ウロコもついたままバリバリ食べるとおもっていたらしかった。

ヨーロッパの人たちはよくなま肉を食べる。ステークタルタルとは、なまの挽き肉のことで、

「なま肉をたべるなんて動物みたい」

といっていやがる日本人は多い。私はそういう人をみると、可哀そうにとおもう。たべる前に頭からまずいものときめてしまうなんて、バカげているとおもう。

日本でもカモのロース、カモの鉄板焼き、すき焼きはおいしいが、高級料理で、だれもが食べるものではないようだ。

パリでもカモは高級料理で、そのなかでも特に有名な店にトゥール・ダルジャンがある。銀の塔とよばれるこのレストランは、セーヌ河のほとり、ノートルダム寺院の尖塔のみせる豪華な古い店で、ここのカモ料理は、もういろんな人がいろんなところに書いている。

はじめに、カモの皿とブドー酒でつくったピンク色のソースがかかったうす切りのカモがでて、次のお皿は皮つき肉のこんがりと焼いたのがでる。そして帰りがけには番号のついた絵ハガキをくれるが、それには「あなたの食べたカモは、このレストラン開店以来何万何千何百何十何羽目のカモでした」ということが書かれている。

カモで有名なこの店では、自家の農場でカモを飼育しているのだそうだ。地下室には酒蔵があり、古い歴史的な酒がならんでいた。

パリの人もステーキが好きだし、よくたべるが、牛肉はなんといっても日本が一等だ。しかし、トリとなるとぐっとおちる。水炊きにsちあり、ぶつ切りにして使うにはわるいとは思わないが、ローストにしたら、大きいトリはかたいし、やわらかいトリは若ドリで小ぶりになり、肉づきも味もフランスにはおよばない。

パリの西南方マコン地方はブドー酒の産地として知られているが、そこの名も知れぬ小さいレストランでたべたトリの丸焼きのおいしさは、いまでも忘れることができない。

焼くのも天火などでは焼かず、食堂の横にある暖炉で、名前は忘れたが、なんとかいう木の枝で焼いていた。焼きたてのトリはやわらかく、それでいて身がしまっていて、枝の香りが茶色くこげた皮にしみついて香ばしく、つめたく冷やしたマコンの白ブドー酒とともに、なんともいえないおいしさだった。

(中略)

食用鳩も、このごろは日本でも飼育されはじめたときくが、フランス人にはなくてはならないメニューの一つだろう。ハトはペルドローよりまたひとまわり小さいから、一羽一人前ということになる。料理の仕方もだいたい同じで、トーストを油であげたパンの上に、バタいためにした肝のすったのを塗り、丸焼きを上にのせる。

つけあわせの野菜はたいていグリンピースのゆでたのときまっている。トリよりも脂がのっている、ちょっとくさみのある野鳥の丸焼きには、ただゆでただけの小粒のグリンピースは、口ざわりがやわらかく、味も淡白で、じつによくあう。

 

日本でも、西洋料理のときは、もっとつけあわせの野菜に気をつかってほしいとよくおもう。つけあわせの野菜によって肉やトリの味もひきたったり、また、その反対になったりする。

なんの料理にもかまわず、じゃがいものから揚げ、それもフレンチポテトみたいに、揚げたての皮はカリッとかたく、中はほくほくと白く、湯気がでるばかりに熱いのとは違い、何時間か前に揚げて冷えてぐちゃっとしたのがついていると、ほんとうに味気なくなって、口をつける気もしなくなる。

パリの盛り場では、よくポムフリット(フレンチポテト)を売っていた。横町の角に大きな揚げなべをおいて、目の前でじゃがいもだけ揚げている。

1センチ角の拍子木に切ったじゃがいもを、こげめのつくまで揚げたのにパラパラと塩をふりかけ、ボール紙の小さい入れものに入れてくれる。一袋三十フランぐらいからあって、私たちは休憩時間にときどきこれを買いに出かけた。

買いに出た人が楽屋にもどってくると、みんな、

「油くさいわ、ポムフリット買ってきたんでしょ」

とあてるくらい、揚げあがるのを待つ数分の間に、油の匂いがコートや髪の毛にしみついた。このポムフリットも焼き栗同様、冬のたべものだった。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

アメリカでおいしいのは?『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(15)

アメリカでおいしいのは、なんといってもローストビーフ」だそうだが、私の住む街でそこまで美味しいのに出会ったことはないなぁ...。その手の業態のお店もどうしてもステーキ、ハンバーガーになってしまう。ニューヨークを中心とした東海岸のダイナーのほうが本場かも。

アズマカブキがパリで公演したときも、十人以上の方々をおまねきした。

その時は朝から買出しに出かけ、大きな鯛を買ってきて天火でやけどをしながら塩やきにしたり、お酢のものやおヒタシなども作って、わりあいご馳走をととのえたつもりだった。ところが、みなさんがほんとうに食べたかったのはお茶づけだったらしい。

さてお茶といわれて、とっておきのお茶(これはパリでは売っていないから、日本から送ってもらっていた)のカンをあけたら、なんと一つまみぐらいしか残っていない。

おそらくアズマカブキの方々も、紅茶茶づけというのは、後にも先にも、わが家においてはじめて召上ったことだろうとおもう。

ありあわせのソーメン(といっても日本のではなく、イタリアでスープに使うヴェルミセル)を作ることにきめたものの、夢声氏と対談をはじめてしまったので、作って下さったのは、じつは夢声夫人だった。

「あなたのアパートでたべたソーメンはおいしかったですな」

(中略)

深尾須磨子さんがいらして下さったときも、珍しいグジョン(セーヌ河でとれる小さい川魚)があったので、から揚げにした。から揚げでも、油気の多い小魚だから、粉をまぶして揚げるのがほんとうだったのだろう。

ところが、私が水を切ってそのまま揚げたから、身が油にとけこんでしまって、骨ばかりのから揚げになってしまった。

「こんなになっちゃったんです」

と、ベソをかきながら、紙の上にいやに小さくからからに揚がった骨と頭みたいなものを盛って出したら、先生はおいしいおいしいと全部たべて下さったので、感激してしまった。

ときどき遊びにいったが、夕食どきはかならずカンづめをあけてあたため、買ってきた味つけもできているコンビネーションサラダの箱をあけてたべさせた。

あんまり味気ないので、ある夜、

「私がお料理していい?」

ときいたら、ぜひぜひ、というのでスパゲティをゆで、ミートソースを作り、サラダも新鮮な野菜を買ってきて作ったら、大げさな彼女は、まさに天にもとび上らんばかりに感激してくれた。

それ以来、彼女の家へゆけば、居間をとおりぬけて台所へ直行し、勝手に好きな料理を作り、二人で、時には二、三人の友人もまじえて食事をするようになった。

(中略)

ある夜、私は指をケガしていた。すると彼女が料理をすると言いだしたのである。

「おいしいものを作って上げる、ハンバーガーよ、ちょっとそこらにあるのとは違うわよ、弊店は炭焼きでございます」

と自慢して台所へ入っていった。ちょっと気になったので台所をのぞくと、火をつけた電気オブンの鍋の上になまのハンバーグステーキをのせて、パッパッと小さい瓶に入ったなにやらマカフシギな黒い粉をふりかけている。

「それなに?」

ときいたら、

「これチャコール・パウダー(炭の粉)よ、これをかけて焼くと、炭で焼いたようにできるのよ」

と得意になって答えたものである。おそれ入って言葉もなかった。

アメリカでおいしいのは、なんといってもローストビーフで、焼きたての、そと側はこげて中は桃色にやけた温かい切り身に、温かいグレーヴィー(肉汁)をかけ、ホースラディッシュという西洋わさびをそえて食べる味は、ちょっとアメリカ離れしている。

ボストンでたべた、こまかくきざんだ蛤と玉ねぎを、牛乳と煮汁でのばしたクラムチャウダーも、なかなかおいしかったが、それよりもフィラデルフィア近郊の海辺でたべたソフト・クラム・シェルの味は忘れられない。これはいままでに見たことのない貝で、カキと蛤のあいの子のような貝だった。あらい金網の中に、ゆで上ったこの貝が、殻つきのまま山とつまれてテーブルに出される。手もとにはスープ皿に煮汁の入ったのと、別皿にバタをとかして塩味をきかせた熱いバタソースがおかれ、貝をとり出してフォークで身をはがし、煮汁でゆすいで砂をとり、バタソースをつけて食べる。

やわらかくて熱い磯の香りも消えぬ貝の身とバタソースは、じつに渾然として舌をすべり、のどを通り、山もりもなんのその、一息でたべ終ってしまう。

あんなおいしい貝は生れてから一度もたべたことたない。それに、この貝にはなかなか出会わなかった。ニューヨークの魚料理店ではたった一軒、このソフト・クラム・シェルをたべさせる店があったが、それもないときが多かった。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

ドリアン『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(14)

「日本は果物にめぐまれた国で、あまり高価でもなく」という記述があり、イチゴ、白桃が挙げられているけど、今の日本は米国と比べると果物の敷居が高いと思う。こっちの人は手軽にスナックにしてるけど日本では日常食とは言えない感じ。

1年ズレこんだはずれクジの東京五輪で選手たちが、ホテルに果物がない、果物をよこせー、と言っていたし。

シンガポールについたとき、私は同船の人々と上陸して果物市場にいった。大きいの、小さいの、先のとがったの、青いの、黄色いのといろいろ種類の違うバナナが店頭にぶらさがっていたが、中に、いがいがのフットボールの球のようなものがならんでいた。それがドリアンと聞いてさっそく一つ買ってみた。

(中略)

ランチが船につくと、甲板まで出てきて、

「大変ですよ、大変ですよ」

と叫んでいる。甲板へあがって行ったら、船長まで出てきて、

「くさくて、くさくて、皆がさわいでいますから、早くたべちゃって下さい」

というので、やっとドリアンのことだとわかった。

(中略)

大いそぎでドリアンをかかえて甲板に行くと、同船の人たちが待っていて、皆「くさい、くさい」とさわぐ。甲板でたべてしまおうということになり、ボーイにかたい殻を削ってもらうと、中はみかん状のふくろになっていて、一ふくろの長さは十センチぐらいあり、フニャッとした、うすいみかん色のものなのだった。カラを削ったと同時に、一だんとくささが鼻をつき、食べられるというしろものではない。

「とても駄目だわ」

「せっかく買ってきたんじゃありませんか、たべてごらんなさいよ」

「どうぞおさきへ」

「いいえあなたこそ」

などと、みな戦々兢々としたものの、それでもふくろをひらくとどろっとしたみがクリーム状に出てきたのを、目をつむってひとくち口に入れたが、甲板からゲーッとばかり海へはきだしてしまった。

それにひきかえ、マンゴーははじめ食べたときからおいしいものだと感激した。パリの高級果物店で売っているのを義兄が買ってきてくれたのだが、大きさはマクワ瓜くらいで、緑がかったうす茶のつるつるした皮で、その厚い皮をナイフでむくと、オレンジ色の桃のようなみが出てくる。うすくて細長いタネが入っているが、タネまでしゃぶってしまうほどおいしかった。

(中略)

この前ハワイに行った時、ちょうどマンゴーのおいしい初夏だったから、食事もせずに、ひたすらマンゴーをたべた。みは桃のように柔かく、味はあんずほどあまくはなくて、ちょっとぷんと匂うのだが、またそれがマンゴーの魅力で、皮をむいて汁のだらだらたれるのにがっぷりかみつくと、ほんとうに狂おしいほどおいしく、物もいわず一つたべてしまい、まだもう一つ、もう一つと、いくらでも食べたいとおもった。そしてそのとき、私はドリアンだっておいしい筈のものなんだと思い、なんだか急におしくなった。

甲板でドリアンをたべた日はすごく暑かった、ドリアンも熱気でむれて、なまぬるくて、どろっとしてくさかった。でも、もしドリアンが冷えていて、レモンでもしぼって、落着いてたべたなら、案外たべられたのかもしれない。

福羽いちごは、ほかの国にはない形で、大きく美しく、外国人など皆びっくりしてしまう。しかし味は石垣いちごの方が上だし、パリで珍重されているフレーズ・デュ・ブワ(森のいちご)という爪の先ほどに小さい、野生の香りも高いいちごの方が、ずっとすぐれているような気がする。

白桃だってそうだ。てのひら一杯にのるくらい大きく、皮をむくとつるつるの白いみの出てくる、きめのこまかい白桃は、おいしいにはおいしいが、なんだかこくがない。むしろ、小さくて黄色みをおびて、きずも少しついている、すっぱみも少しある安い桃のほうが味がよい。

なにしろ私の年頃では、娘のころはずっと戦争だったし、その後は戦後の物資不足時代だったから、お料理の材料がひどく限られたところで、もちろん料理を習ったこともない。

パリに行って自炊生活をはじめたときは、だから毎日ハムやチーズを買ってくるか、いり卵をするか、牛肉を焼くか、とにかく簡単なものしか食べなかった。

しかし、パリに住んでいると、日本人の旅行者がくる。その旅行者は、前からよく知っているなつかしい人、紹介状を持ってくる人、パリでなにかの機会で知りあう人といろいろだが、その誰もがお茶づけを食べたがっているのである。

人こいしい私は、パリにいらした今さんを例によって食事におよびしたのだ。その夜はカレイのお煮つけをするつもりで、小ぶりのカレイを買っておいた。そこまではよかったのだが、まず煮て表面が白っぽく煮えたようにみえたから、出してみたら半分生煮え、あわててまたおなべにかえして、こんどはグツグツとよく煮たら、たいして新鮮でなかった小さいカレイは、身がくずれて、もやもやと煮汁の中にちらばって、骨だけいやに堂々とおなべに残ってしまった。やり直したくとも魚はなし。

「はい、カレイの煮つけ」

とやけ半分、度胸をすえて、おなべごとテーブルに出したというわけだった。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

クレープとは何かを説明『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』(13)

ギャレットではないが、ひとつ「アタリ」が入っているちぎりパンはキンダーで何度か食べたことがある。食べ物に異物が入っているというのはどんなに注意しても結構危険だ。ましてや幼児なら、私が教員だったら絶対食べさせたくない。今のアメリカではやらないんじゃないかな。

日本人が三度三度ごはんをたくように、パン屋さんも一日三回パンを焼き、人々は焼きたてを買いにくる。フランスパンがおいしいといわれるのは、パン自体がおいしいというわけではなく、むしろ焼きたてを食べるからだともいえよう。

(中略)

朝食用のパンは、このほかに、バタをたっぷり入れてあげた三日月形のクロワサン、それからちょっと甘いお菓子ふうのブリオッシュ、甘味のないラスク風のビスコットが売られている。そのパン屋さんの横はたいていお菓子売場で、シュークリームや、中に甘く煮た果物の入ったパイのタルト、ラム酒の入ったババ・オ・ラムなど色とりどりのお菓子が売られ、またプティ・フールとよぶクッキーが売られている。

また、たいていはお菓子といっしょに、パイでできた料理、ヴォル・オ・ヴァンとキッシュもならんでいた。

ヴォル・オ・ヴァンは、パイの皮の中に、白いソースであえたシャンピニオンと牛の脳みそが入っていて、キッシュは卵のうまみをきかせた黄色いクリームで玉ねぎとハムをあえたものが入り、これは両方とも、あたためて前菜にたべるもので、なかなかおいしいが、自家でパイ皮を作るのはめんどうだから、買いにくるひとも多いようだった。

私は辛党でお菓子などあまり興味はないのだが、パンを買いにゆき、きれいにならんだいかにもおいしそうなお菓子を目にすると、つい一つ二つつまんでみたくなったものだ。そんなとき「これ一つ頂戴」といえば売子は紙にくるんでくれる。店のなかでたべてもよいし、街を歩きながらたべてもよい。立派な大人がお菓子をほおばりながら歩いている姿は、パリではよくみられる風景だ。

一月に入ると菓子屋の店頭にはギャレットがならぶ。なにも入っていない、丸い円形のパイで、いっしょに金色に塗った紙でできた王冠が売られている。このお菓子は、キリストの誕生を知った三人の博士が、そのことをベツレヘムの民につたえたとき、お菓子屋がお祝いのためにギャレットを焼いて、人々にただで分けたという、いいつたえのあるお菓子だ。

いまその風習が残っているのはフランスだけで、一月六日には皆ギャレットをたべる。パイだけだからさっぱりと味気ない菓子だ。この中には小さい小指の先ほどの石造りの人形か動物が入っていて、そこをたべる人はその夜は王様ということになっている。

四月一日のエイプリル・フールはフランスではプワソン・ド・アヴリルといい、どういうわけか、お魚の形をしたチョコレートが店頭にならぶ。

またそのころは復活祭も近いので、復活祭のためには、たまご形のチョコレートが売られる。大きな卵は、人間の頭ぐらいもあり、厚いチョコレートの壁をこわすと、中には色とりどりのボンボンが入っている。

マルディ・グラと呼ばれる謝肉祭にはクレープをたべることになっているが、クレープはたいてい家庭で作るものなので、クレープを作るとき、片手に金貨をにぎって、片手にフライパンを持ち、うまくクレープが空中で回転すれば幸運がつかめるといわれているという話だ。

クレープとはうす焼きのパンケーキのことで、フランスでは、その上に白砂糖をふったり蜜やジャムをかけたりしてたべるが、レストランなどでは、クレープ・スゼットといって、砂糖をかけたラム酒をたっぷりかけてから、その上にマッチをすり、火でもやし、アルコールの匂いをぬいたところを食べるちょっと豪華なデザートだ。

クリスマスにはデコレーションケーキをたべるのが、日本でもこのごろは当りまえになってきているが、パリのクリスマスケーキはブッシュ・ド・ノエルといって、大木の幹を切った形だ。それを横にごろんと倒した形にして、チョコレートクリームで表面を木の色にぬり、その上に「きのこ」と「きづた」が色どりよく作られて飾られている。

きのこもきづたも幸福のしるしなのだそうだが、そんなふうにフランスではお菓子の歴史も長く、しきたりもあるので、チョコレートのお魚をみて、「ああもう春だ」「もう四月も間ぢかだ」と思わせる。

高級喫茶店で有名なのは、ルイ十四世風な店がまえをしたマルキ・ド・セヴィニエで、オペラの近くにも、また山の手のヴィクトル・ユーゴーという所にもあり、また、その店に似た高級なお菓子と高級なサンドイッチとお茶、コーヒー、アイスクリームの類しか出さぬ純喫茶店がいくつかある。

そういうところのお菓子はパン屋さんのお菓子の倍以上の値段だが、それだけに、アルコール分もたくさんつかった、こってりした特別のおいしさだ。

高級サンドイッチというのは、うすくうすく切った食パンにアスパラガスや卵、ハム、ビーフ、トリなどが入っていて、一きれ一きれ、きれいに紙に包んである。一きれ百円ぐらいして高いのだが、実に味つけがよくて、うすくてデリケートでおいしい。

(中略)

しょざいない午後のひとときを、うすいサンドイッチをつまみ、香りの高い紅茶をのんで、おしゃべりに時をすごす。

(中略)

どこの街角にもあるガラスばりのキャフェで、冬は暖かいストーブにあたりながら、熱気で曇った窓ごしに通りをながめ、安いコーヒーで何時間もねばっている、けだるいのどかさが好きなようだ。

夏は夏で、道路に張りだしたテラスに腰をかけ、ビールでものみながら、のんびりと道ゆく人をながめているのが好きだ。

(中略)

キャフェのサンドイッチときたら、うすい品のよいのとは違い、バゲットを三十センチの長さに切り、中を開いてバタをぬってハムやチーズをはさんだごついサンドイッチだ。大きいのを両手でつかみ、バリバリはしから食べてゆくと、パンばかりのどにつかえて、両あごがくたびれてしまう上、わるくすればパンの皮で上あごをむいてしまうことさえある。

(中略)

パリの紅茶がまずいことは前に書いたが、コーヒーもおいしくない。一般的に、朝食にはキャフェ・オ・レとよぶ濃いコーヒーに二倍の量のミルクを入れたのを、大きい茶碗でのむが、キャフェでのむのはエクスプレスかフィルトルだ。

石井好子著『巴里の空の下オムレツのにおいは流れる』より

食缶とアセロラドリンク『スペードの3』

  • 「アスパラとベーコンのクリームペンネ」、私がパスタでよく作るやつ。この文字面を見ただけで食べたくなる。
  • 「食缶」がなつかしい。ていうか、給食にフランスパンが出るの?
  • アセロラのドリンクもなつかしい。

「ごはんは? 私たちはもう食べたけど」
ハイ、と、由加が美知代に向かってメニューを開いた。圭子と由加の前には、メニューの代わりにノートや会報のコピーが拡げられている。
パスタを頼むと、美知代は自分のてのひらにハンドクリームを塗り込んだ。
(中略)
由加はホットコーヒーを、圭子はラム酒付きのココアを飲んでいる。

美知代はそう言うと、スプーンとフォークを使い、アスパラとベーコンのクリームペンネを食べ始めた。

銀色の食缶がガチャガチャと音を立てている。フランスパンと牛乳、豆をたくさん使ったスープのにおいが混ざる。
他の給食当番が二人でひとつの食缶を運んでいる中、むつ美はひとりで牛乳パックを片づけていた。黄色いカゴの中に、みんなが各自たたんだ牛乳パックがぎっしりと詰め込まれている。

今年の総鑑賞日のときは、全員にチョコレートをくださった。荷物の中に紛れていたのか、そのチョコレートは少し溶けていて、形が崩れていた。圭子は、楽屋の暖房が効きすぎてたのかな、寒がりだからカイロとかで溶けちゃったのかな、と、小さなチョコレートひとつから限界まで情報を引き出そうとしていた。

「......アセロラジュースなんて飲むんですね」
美知代がそう言うと、唐木田の頭に巻かれたタオルの尾が少し動いた。。
「ああ」
唐木田は美知代のほうを見ずに、残りのジュースを飲み干す。

「あ、売り切れ」
アキはコーヒーを一口飲むと、そうつぶやいた。一番上の段の右端、アセロラジュースの購入ボタンが、売り切れ、という文字で赤く光っている。
「唐木田さん、最近あれ、ハマってるんだって」
缶に書かれているアセロラ、という文字は、赤くてつやつやしている。さっき唐木田が飲んでいたものが最後の一本だったのだろうか。
「そしたら現場チームでも流行っちゃって、これだけすぐ売り切れるんだって」

卒業式のあと、先に学校を離れた母は、夕方遅くに帰ってきたむつ美を濃い味の手料理でうれしそうに迎えてくれた。

卒業式のあと、愛季は、むつ美に向かってオレンジジュースを差し出してくれた。そして乾杯するように、自分の紙コップの縁をむつ美のそれにこつんと合わせた。

母の作る料理は味が濃いから、白いご飯がよく進む。

ポテトチップスは好きだけれど、志津香の選んだ味はとても濃い。

お正月の三が日では、親戚のおじさんたちよりもおせちやおもちをたくさん食べていた。

「修輔は?」
コップに麦茶を注ぎながら、むつ美は言った。
「帰ってきてないの?」
「うーん」煮え切らない返事をした母が、豚のしょうが焼きがたっぷりと盛られた皿を運んでくる。修輔は、たまねぎの入った豚のしょうが焼きに、マヨネーズをたくさんかけて食べる。

「ほんとにっ? その日、夕飯、自分で用意してもらってもいい?」
ビニールボールが弾むようにそう言う母に対して、父はクールに「別にいいけど」と返していた。そのときつかさは、母がいない土曜の昼、父が嬉しそうにカップラーメンに卵を入れて食べている姿を思い出していた。

母にはコーヒー、つかさにはオレンジジュースを出してくれた剛大の母親は、つかさの母がチケットのお礼にと持ってきたクッキーを一つも食べないまま言った。

昨日、パックのお寿司を食べたからだろう、しょうゆと魚の生臭さが混じり合った匂いが鼻先をかすめる。

三月も半ば、まだ点けっぱなしのホットカーペットの上で、つかさは、母が淹れてくれた甘い紅茶でふくらんだ腹をゆっくりと撫でた。

「ありがとう。あと、これ、すごくおいしかったわあ」
母は読んでいた文庫本を閉じると、小皿に載ったバウムクーヘンを指さした。「これ、あんたの分ね」電車に乗る前、駅の地下でつかさが買ってきたものだ。ていねいに切り分けられているバウムクーヘンには、よく洗われた銀のフォークが添えられている。
(中略)
つかさは、横に倒した銀のフォークをバウムクーヘンに沈ませていく。
「黄色いストール?って言ってたけど、あんた覚えてる?」
いくつもの層が重なってできているバウムクーヘンが、少しずつ切れていく。
(中略)
「新しい舞台、また決まりそうだから。それよりこれおいしいね」
つかさがバウムクーヘンを指さすと、母は「でしょっ?」とまるで自分が買ってきたおみやげを褒められたみたいに語尾を跳ねさせた。お父さんの分も残しとかなきゃねえ、と笑う母の頭の中には、きっともう、円はいない。
(中略)
つかさはもう一口、大きめにカットしたバウムクーヘンを口に含んだ。どの雑誌にもおいしいと書いてあったバウムクーヘンは、想像していたよりもずっとパサパサしていた。

男は、百円玉を作るためだけに買ったのであろう缶コーヒーを、面倒くさそうに飲んでいる。

朝井リョウ著『スペードの3』より