たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

チープ細雪 山内マリコ『あのこは貴族』

華子さんの婚姻までのくだりは『細雪』チーパーバージョンの趣。
マキオカシスターズはもう少し自身を俯瞰してこらえるところはこらえる品があった。

オークラの旧本館、心底惜しいですね。
アンティーククラッシャーといえば大阪維新だが、五輪のために東京もずいぶん破壊されてしまったのですね。
築地も含めて、蓄積っていったん壊してしまったらまた築くのに何百年もかかるのに。
ああ、もったいねえ。

そういえば、日本国外のオークラのお正月イベントでオークラさんという方が前に立たれていて、大倉クランの方かしら?と噂した。

扇の蒔絵がほどこされた椀物の蓋を静かに開けると、ふわりとした湯気とともに、なんともいえない蟹の甘い香りが鼻腔をくすぐった。中にはとろみのある出汁でほっくりと煮た香箱蟹が盛られ、「わぁ~っ」とめいめいから歓声が湧く。
「あぁうれしい。あたし香箱蟹がいちばん好きなの。まだいただけるのねぇ」
長女の香津子が一際うっとりした声を上げる。
(中略)
華子も蟹のなかでは香箱が特別好きで、外子といわれる茶色いつぶつぶの卵を箸でつまむと、ひょいと小さな口元へ運んだ。
「香箱蟹って、いつまで獲れるもんなの?」
麻友子の言葉に、仲居がすぐに反応する。
「香箱は漁期が大変短くなっておりまして、11月から12月までが旬でございます。こちらの香箱は年末に水揚げされたもので、この冬最後のものとなっております。どうぞ味わってお召し上がりください」
稀少なものだとわかるとみんな一層喜んで、美味しい美味しいと口々に言う。
(中略)
麻布に会員制の焼肉屋があって、そこが美味しかったと麻友子が言えば、香津子はこのあいだ京都土産にもらったという豆餅の味を、思い出したように語る。

祖父が生きていたころは正月ともなると盛装して広尾の家に集まり、お節やお雑煮をいただいたものだ。祖母は手まめなたちだから、門松から繭玉飾り、柳箸の箸袋にいたるまで手づくりしていたし、家中に趣向を凝らしたお花が活けられて実に華やかだった。

必要なものは渋谷の東急本店の外商に持ってこさせ、お節はなじみの料理屋に予約を入れて、自分で作るのはお雑煮だけ。

2人で初詣に行ったあと彼のマンションに戻ると、華子はいそいそとエプロンをつけ、お雑煮を作りだした。買っておいた食材をキッチンに広げ、家から高級な塗りのお椀まで持参しているという手の込みよう。すまし汁仕立てのお雑煮には焼きたての切り餅と、小松菜と鶏肉が入って黄柚子があしらわれている。
「うおぉすげぇ! これ俺んちの実家の味を完コピできてるよ」
彼も最初は感激していたが、何度もしつこく実家のお雑煮のことを訊いてきたのはこのためだったのかと察知したようで、華子の用意周到さがどうにも重たくうざったく、来年はもうお雑煮を作らないでいいからと釘を刺してきたのだった。

ざっくばらんに言いながら、相楽さんは運ばれてきたケーキスタンドの下の段に手を伸ばし、サンドイッチをつまみ上げた。

ウェスティン特製のシュークリームを一口で頬張ると、相楽さんはクリスマスパーティーでの一件を蒸し返した。

美帆さんは、パウンドケーキを一切れひょいと口に運んで、同情の眼差しを向けた。

2人してミックスベリーのスムージーを頼むが、うやうやしく別のテーブルに運ばれていくケーキスタンドを、物欲しげに眺めずにはいられなかった。下の段にはキュウリのサンドイッチやオープンサンド、真ん中の段に数種のスコーン、上の段にはブランマンジェやシブーストが盛り付けられている。
「あーあ、がっかり」
相楽さんは運ばれてきたスムージーをストローでかき回しながらうらめしそうに言ったが、一口吸うなり「あ、美味しい」とつぶやき、すぐに機嫌を直した。

予約していた鰻重が届けられた。
「やだ、晃太の分もあるんじゃない?」
夏風邪をひいたという晃太は、墓参りを欠席して家で養生しているのだという。
「病人置いてきたの?」と麻友子。
「なにか食べるものはあるの?」と母の京子。
香津子は「大丈夫よ。おかゆ用意してあるから。熱はないし」と受け流すが、京子はいたく心配そうに、愛媛から取り寄せたというみかんジュースの大きな瓶や、よく効くという葛根湯を紙袋に詰めはじめ、早々と玄関先に用意した。
「晃太の分の鰻重どうしよう」
と困った様子の香津子に夫の真は、
「おれが食べるよ」
わずかに出はじめたお腹をさすりながら頼もしく言う。

「つまみにチーズの盛り合わせでももらいますか」という幸一郎の提案に、「いいですね」と調子を合わせてしまう。
幸一郎は軽く手を上げて、忙しく立ち働いているウエイターを呼び止めると、グラスワインを2つとチーズの盛り合わせを頼んだ。
(中略)
「あ、なにか食べますか? キッシュ、ステーキフリット、オニオングラタンスープ、どれも美味しそうですね」と言う。
「いま言ったの、全部食べたいです」
華子が遠慮がちに本音をこぼすと、
「じゃあそうしましょうか」
幸一郎は、愉快そうにうんうんとうなずいた。

ようやく下道に降りて旧軽井沢のあたりまで来て、お腹も空いたことだし蕎麦でも食べることに。
(中略)
鴨南蕎麦を食べお茶を啜って一呼吸置くと、いよいよ別荘へ向かった。

その晩は、青木家の行きつけだという鶏すきの店で食事をしながら、どうにも好奇心を抑えられず、華子はついに家のことをたずねてしまった。

運ばれてきたアップルパイを頬張るが、気持ちが追いつかず、味わう余裕などなかった。
「美味い?」と幸一郎にたずねられ、華子は、
「よくわからない」とこたえた。

じぃじの号令によってはじめられた食事は仕出しのお節で、椀物と焼き魚以外はどれもひんやりしていた。数の子、黒豆、伊達巻、田作り......。単に華子に精神的な余裕がないから味がしないのか、それとも本当に美味しくないのか判別しかねる、実にぼんやりとした味であった。

2回もピザを取ってHuluでたいして面白くない海外ドラマを一気に見て、ネットで靴を2足買った。

母はお節作りにかかりきりで、台所で振り向きざま「おかえり」と言ったきり、豆の煮え具合に集中している。
(中略)
座敷へ行くと、ちょうどみんなが食卓についたところだった。
魚の煮付け、里芋とイカの煮物、白菜の漬物、もやしとキュウリの和え物、タコと赤貝の刺し身、肉じゃがの小鉢。大きな食卓いっぱいにこまごまと皿が並ぶ。母はこれを1人で用意したうえに、お節まで作っていたのか。美紀はその労働量を思ってくらくらした。お茶碗を運ぼうと腰を上げるも、
「いいから。疲れてるんでしょ」
と言って、母は手伝わせてくれない。
(中略)
「この里芋美味しい」と美紀。
「近所の人にもらったの。立派な里芋よ。ちょっと持ってく?」
母は腰を浮かせ、台所から里芋を取ってこようと立ち上がる。
「いらない。料理しないから」
美紀が止めるのも聞かず、新聞紙にくるまれたこぶし大の里芋を持ってきた。
「でか!」
美紀が笑うと、
「でしょう。こんな大きな里芋、お母さんもはじめて見たわ」
母もほがらかな調子で笑顔を見せるが、
「女なんだから料理くらいしろ」
さっそく父に水を差されて、会話はすげなく終わってしまった。

波打った銀紙の上に載せられたまま出されたモンブランは、見た目も味も昭和のケーキという感じでただ甘いだけ、一口ぱくついたきり残してしまった。でも、昔はこういう味に喜んでいたことを、美紀は憶えている。東京で、もっとずっと美味しいケーキをたくさん食べて、舌ばかり肥えてしまい、地元のホテルで出されたケーキを一口しか食べない自分は、きっとずいぶんいやな女なんだろうな―――。

パークハイアット東京でのアフタヌーンティーだ。
「あたしも1年生のころはイキッて東京に馴染もうとして、なにを見ても驚かないふりをしてたけど、あれだけは本気で衝撃だった」と平田さん。
同い年の子が当たり前みたいな顔でタクシーに乗って高級ホテルに行き、英国式の三段ケーキスタンドいっぱいに盛られたスイーツをつまみつつ紅茶を飲みながら、午後いっぱいだらだらとお喋りに興じて、それで会計のときに4、5千円ぽんと払うのだから、まさにカルチャーショックである。

「祭りっていうか、ちらし寿司は作るかな。こんな桶で。あとはまぐりのお吸い物くらい」
相楽さんは両手を割っかにして寿司桶を表現する。華子もこうかぶせる。
「うちも、姉が来たらちらし寿司作るけど、人数集まらないときは手巻き寿司とか。あと、仕出しの手まり寿司をとったり」

ケーキ入刀の様子を写真に収めに高砂へ詰めかけていた人たちがわらわらテーブルに戻ると、ようやく食事の時間となった。シャンパンで喉をうるおし、オードブルの盛り合わせに手を付ける。フォアグラのテリーヌをつまみ、小さなカップに入ったヴィシソワーズを一口で飲み干し、キャビアとトビコで彩りよく盛りつけられた真鯛のタルタルを舌にのせると、美紀はん-と目を閉じて、相楽さんに「結婚式で出された料理が本当に美味しいなんてはじめてだわ」と耳打ちした。
(中略)
牛フィレ肉のポワレをナイフとフォークで切りながら、美紀は感心したように言う。

どんなに時間をかけて料理を作ったところで、ありがとうも美味しいもない。料理教室で教わったとおり、彩りに木の芽をのせたり、香りづけに柚子の皮を削ったりしても、なんの感想もなく褒められもしない。

アイスやチョコでたっぷりトッピングされたパンケーキが2皿運ばれてきた。美紀は「まあまあ」と気まずそうに、
「ひとまずコレ、食べましょうか」
華子にフォークを渡した。

「駅前に美味しいカレーを出す喫茶店があるんだって」
スマホで現地の情報を調べまくる相楽さん。
「え~食べたい!」
横からカレーの写真を見た華子が、悶えるように声をはりあげた。

山内マリコ著『あのこは貴族』より

「微妙に冷たい幸一郎」の描写、あるあるでうまい。
ほんとにちょっとしたことなんだよね。
バイデン大統領なんか、スタッフた取り巻く公用車に乗るときでさえ、ジルのために遠回りして車のドアを開けていて、ケアする、それを感じさせるのがどういうことかよく分かる。