たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

滅びの香り『細雪』

「その、烏賊のお料理と申しますと?」
と云う房次郎夫人の質問から、烏賊をトマトで煮て少量の大蒜で風味を添える仏蘭西料理の説明が暫くつづいた。

悦子の好きな蝦の巻揚げ、鳩の卵のスープ、幸子の好きな鶩の皮を焼いたのを味噌や葱と一緒に餅の皮に包んで食べる料理、等々を盛った錫の食器を囲みながら、ひとしきりキリレンコ一家の噂がはずんだ。

「今日カタリナのとこで晩の御飯よばれて来てんわ」
と云って夜おそく帰って来た。そして、露西亜人と云うものはとても健啖なのに驚いた、最初に前菜が出て、それから温かい料理が幾皿か出たが、肉でも野菜でも分量がえらく沢山で、ふんだんに盛ってある、パンでもいろいろな形をしたパンが幾種類も出るので、妙子は前菜を食べただけで好い加減お腹が一杯になったが、もう結構です、もう食べられませんと云っても、あなたなぜ食べません、これ如何です、これ如何ですと云っていくらでも勧めながら、キリレンコ達は盛に食う。その間には日本酒やビールやウォツカをぐいぐい飲む。兄のキリレンコがそうなのは不思議はないが、カタリナも、そして「お婆ちゃん」も、倅や娘に負けないくらい飲み且食う。そうこうするうちに九時になったので帰ろうとしたら、まだ帰ってはいけませんと云って、トランプを出して来たので、一時間ばかり相手をしていたら、十時過ぎになって又もう一遍お夜食が出たのには、見ただけでゲンナリしてしまったが、あの人達はそのお夜食を又しても食べて酒を飲む。その飲み方も、ウィスキー用の小さなコップに一杯注いで、ぐいと一と息に、飲むと云うよりは口の中へ放り込む。日本酒は勿論、ウォツカのような強い酒でも、そう云う風にぐい飲みをしないと旨くないと云うのだから、実に呆れた胃袋である。料理はそれほどおいしいものはなかったけれども、変ったものでは、支那料理のワンタンや伊太利料理のラビオリに似た、饂飩粉を捏ねたようなものが浮いているスープが出た。と、妙子はそんな話をして、
「今度はあなたの兄さんや姉さん逹御招待します、是非連れて来て下さい云うて、頼まれてるねん。一遍だけよばれてめえへんか」などと云った。

八時が打つとカタリナは立って台所の方へ行って、何かごとごとやっていたが、手早くいろいろなものを食堂に運んで、三人を其方の部屋へ呼んだ。貞之助逹は、テーブルの上に数々の前菜、− いつの間に用意してあったのか、鮭の燻製、アンチョビーの塩漬、鰯の油漬、ハム、チーズ、クラッカー、肉パイ、幾種類ものパン、等々がまるで魔術のように一時に出現して置き切れぬ程に並べられた光景を見ると、先ずほっとした形であった。カタリナは一人でよく働いて、紅茶を幾度も入れかえて出した。空腹を訴えていた三人は、目立たぬように、しかし相当に急いで食べたが、分量があまり豊富なのと、次々とすすめられるので、すぐ満腹を覚え始めて、時々そっと、テーブルの下へ来ているボリスに食べかけを投げてやったりした。

それに、発育盛りの年頃にしては前から食慾が旺盛でないのであるが、その傾向が募って来て、毎食一二膳しか食べず、お数も、塩昆布とか、高野豆腐とか、老人の食べるような物を好み、お茶漬にして無理に飯を流し込む。「鈴」と云う牝猫を可愛がって、食事の時は脚下に置いていろいろの物を与えるのであるが、少し脂っこい物は自分が食べるよりも大半鈴に遣ってしまう。

尤も、6人もの子供の食事を賄うのだから、お菜一つ買うのにも頭を使うと使わないとでは随分な違いになる訳であるが、賎しいことを云えば、お惣菜の献立なども大阪時代とは変って来て、シチュウとか、ライスカレとか、薩摩汁とか、なるべく一種類で、少しの材料で、大勢の者がお腹一杯食べられるような工夫をする。そんな風だから、牛肉と云ったって鋤焼などはめったに食べられず、僅かに肉の切れっ端が一片か二片浮いているようなものばかりを食べさせられる。それでもたまに子供たちが一立て済んでから、大人たちだけ別な献立で、兄さんの相手をしながらゆっくり夕飯を楽しむ折があって、鯛は東京は駄目だとしても、赤身のお作りなどが食べられるのはまあそんな時だけであるが、それも実際は、兄さんのためと云うよりは、夫婦があたしに気がねして、いつも子供たちのお附合いばかりさせて置いては雪子ちゃんが可哀そうだから、と云うようなことであるらしい。

「奥さん、あなたそれお上りになりますか」
と、貞之助は、シュトルツ夫人が膝の上にちらし鮨の皿を載せて、不器用に箸を使い始めたのを見つけると云った。
「あなたそんな物お上りになれんでしょう。御迷惑だったら止めて下さい」
そう云って貞之助は、
「おいおい、何かもっと、シュトルツさんの奥さんに食べられそうなもんないのんか」
と、見物席にお茶を配って廻っているお花に云った。
「ケーキか何かあったやないか。あのお鮨貰うて来て、外のもん持ってって上げなさい」
「いえ、わたし食べます。……」
と、シュトルツ夫人は、お花が鮨の皿を貰おうとするのを拒みながら云った。
「ほんとうですか、奥さん、あなたそれお食べになるんですか」
「ええ、食べます、わたしこれ好き。……」
「そうですか、お好きなんですか。……おいおい、そしたら匙か何ぞ持ってって上げなさい」
シュトルツ夫人は本当にちらし鮨が好きであるらしく、お花から匙を受け取ると、その皿のものを一粒も残さず平らげてしまった。

「そんでも、こないして食べるもんや云うこと、教せてもろてん」
「誰に」
「おッ師匠はんとこへ来る芸者の人に。-芸者が京紅着けたら、唇を唾液で濡らさんようにいつも気イ付けてるねんて。物食べる時かて、唇に触らんように箸で口の真ん中へ持って行かんならんよってに、舞妓の時分から高野豆腐で食べ方の稽古するねん。何でか云うたら、高野豆腐は一番汁気を吸うよってに、あれで稽古して、口紅落さんようになったらええねん」

姉の注文した中串と、幸子の注文した筏が焼けて来る間、ビールの肴に、幸子はひとしきりお春の店卸しをした。

もとこの親爺は、今はなくなったが明治時代に有名であった東京両国の与兵衛で修行した男なので、「与兵」と云う名はそれに因んだのだそうであるが、鮨そのものは昔の両国の与兵衛鮨とは趣を異にしていた。それと云うのが、親爺は東京で修行したものの、生れは神戸の人間なので、握り鮨ではあるけれども、彼の握るのは上方趣味の頗る顕著なものであった。たとえば酢は東京流の黄色いのを使わないで、白いのを使った。醤油も、東京人は決して使わない関西の溜を使い、蝦、烏賊、鮑等の鮨には食塩を振りかけて食べるようにすすめた。そして種は、つい眼の前の瀬戸内海で獲れる魚なら何でも握った。彼の説だと、鮨にならない魚はない、昔の与兵衛の主人などもそう云う意見だったと云うので、その点で彼は東京の与兵衛の流れを汲んでいるのであった。彼の握るものは、鱧、河豚、赤魚、つばす、牡蠣、生うに、比目魚(ひらめ)の縁側、赤貝の腸、鯨の赤身、等々を始め、椎茸、松茸、筍、柿などに迄及んだが、鮪は虐待して余り用いず、小鰭、はしら、青柳、玉子焼等は全く店頭に影を見せなかった。種は煮焼きしたものも盛に用いたが、蝦と鮑は必ず生きて動いているものを眼の前で料理して握り、物に依っては山葵の代りに青紫蘇や木の芽や山椒の佃煮などを飯の間へ挟んで出した。

親爺は先ず、客をずらりと並べて置いて、一往何から握りましょうと注文を聞きはするけれども、大概自分の仕勝手のよいように、最初に鯛なら鯛を取り出して、頭数だけ切り身を作って、お客の総べてに一順それを当てがってしまい、次には蝦、次には比目魚と云う風に一種類ずつ片附けて行く。二番目の鮨が置かれる迄の間に、最初の鮨を食ってしまわないと、彼は御機嫌が斜めである。当てがわれた鮨を二つも三つも食べずに置くと、まだ残っていますよと、催促することもある。種は日によっていろいろだけれども、鯛と蝦とは最も自慢で、どんな時でも欠かしたことはなく、いつも真っ先に握りたがるのは鯛であった。トロはないか、などと云う不心得な質問を発するお客は、決して歓迎されなかった。そして気に入らないことがあると、恐ろしく山葵を利かして客をあッと跳び上がらせたり、ポロポロ涙を零させたりして、ニヤニヤしながら見ているのが癖であった。
取り分け鯛の好きな幸子が、妙子に此処を紹介されてから、忽ちこの鮨に魅了されて常連の1人になったのは当然であるが、実は雪子も、幸子に劣らないくらいこの鮨には誘惑を感じていた。少し大袈裟に云うならば、彼女を東京から関西の方へ惹き寄せる数々の牽引力の中に、この鮨も這入っていたと云えるかも知れない。彼女がいつも東京に在って思いを関西の空に馳せる時、第一に念頭に浮かぶのは蘆屋の家のことであるのは云う迄もないが、何処かの頭の隅の方に、折々は此処の店の様子や、親爺の風貌や、彼の包丁の下で威勢よく跳ね返る明石鯛や車海老のピチピチした姿も浮かんだ。彼女は孰方(どちら)かと云えば洋食党で、鮨は格別好きと云う程ではないのだけれども、東京に二た月三月もいて、赤身の刺身ばかり食べさせられることが続くと、あの明石鯛の味が舌の先に想い出されて来、あの、切り口が青貝のように底光りする白い美しい肉の色が眼の前にちらついて来て、それが奇妙にも、阪急沿線の明るい景色や、蘆屋の姉や妹や姪などの面影と一つもののように見え出すのであった。そして、貞之助夫婦も、雪子の関西に於ける楽しみの一つがこの鮨にあることを察していて、大概彼女の滞在中に一二度は此処へ誘うのであるが、貞之助はそんな時に、幸子と雪子の席の間に自分の席を占めるようにして、時々、目立たぬように、妻と二人の義妹たちへそっと杯を廻してやるのであった。
「おいしい、とてもおいしい、……」
と、妙子はさっきから溜息をつきつき食べていたが、雪子があたりへ気がねしながら廻って来た杯の方へ身を屈めている向うから、
「貞之助兄さん」
と、声をかけた。
「-こんなにおいしいもん、あの人等にも食べさせたげたら宜しゅおましたなあ」
「ほんに」
と、幸子も云った。
「キリレンコやお婆ちゃんも誘うたらよかったわ」
「それは僕かて気イ付かんでもなかったけど、急に人数が殖えてもどうか思うたし、あの人等、こんなものをよう食べるかどうか思うて、……」
「何云うてはりまんねん」
と、妙子が云った。
「西洋人かて何ぼでもお鮨食べまっせ。なあおっさん」
「へえ、食べます」
と、親爺は今、俎板の上で暴れ廻る蝦を、水でふやけた太い5本の指をひろげて、手の中へ押さえ付けながら、
「うちの店へも時々西洋人が見えまっせ」
「あんた、シュトルツさんの奥さんかて散らし鮨を食べはったやおませんか」
「そやけど、あの散らしには魚の生身が這入ってえへなんだよってに、……」
「生身かてよう食べます。……尤も、食べるもんと食べんもんとありますな。鮪はあんまり食べしまへんな」
「へえ、何でやろ」
と、株屋の旦那が口を挟んだ。
「何でか知りませんけど、鮪、鰹、ああ云うものは食べしまへん」
「ほら、姐さん、あのルッツさん、――」
「――あの人、白身のお作りばっかり食べとって、赤身はちょっとも食べとってやないわ」
「ふん、ふん」
と、老妓は爪楊枝を手で囲って使いながら、芸者の方へ頷いて置いた。
「西洋のお方は、赤身のお魚は気味悪う思やはるのんでっしゃろ、あんまりお上りになれしませんな」
「成る程な」
株屋の旦那がそう云った後から、貞之助も云った。
「西洋人になって見ると、真っ白な御飯の上に正体の分らん真っ赤な生の魚が載ってるのんは、確かに気味が悪いやろうな」
「なあこいさん、――」
と幸子は、夫と雪子の向うにいる妙子を覗き込みながら、
「キリレンコのお婆ちゃんに此処のお鮨食べさせたら、どんなこと云うやろか」
(中略)
「今日は皆さん、船へお越しでしたんですか」
そう云いながら、親爺は蝦の肉を開いて、飯のかたまりの上へ載せると、五六分ぐらいの幅に包丁を入れた。そして、妙子と雪子の前に一つ、貞之助と幸子の前に一つ、その鮨を置いた。頭を除いた大きな車海老の一匹がそのまま鮨になっているのを、一人で一つ食べてしまうと、あとの鮨が這入らなくなるので、貞之助達は一つを二人で食べることにしているのであった。
(中略)
貞之助は食塩の容器を倒(さかさ)にして、味の素を混和したサラサラに乾いた粉末を、まだ肉が生きて動いている車海老の上へ振りかけると、包丁の目のところから一と切れ取って口に入れた。
(中略)
「娘(とう)さん、どうぞ早うお上り下さい」
と、親爺が例の癖を出して、まだ手を着けずに眼の前の鮨を見守っている雪子に云った。
「雪姐(きあん)ちゃん、何してるのん」
「この蝦、まだ動いてるねんもん。……」
雪子は此処へ食べに来ると、外のお客達と同じ速力で食べなければならないのが辛かった。それに、切り身にしてまで蝦の肉が生きてぶるぶるふるえているのを自慢にする所謂「おどり鮨」なるものが、鯛にも負けないくらい好きなのではあるが、動いている間は気味が悪いので、動かなくなるのを見届けてから食べるのであった。
「その動いてるのんが値打ちやがな」
「早よ食べなさい、食べたかて化けて出えへんが」
「車海老のお化けなんか、出たかて怖いことあれしまへんで」
と、株屋の旦那が半畳を入れた。
「車海老やったら恐いことないけど、食用蛙は怖かったわなあ、雪子ちゃん」
「へえ、そんなことがあったんか」
「ふん、あんさん知りなされへんけど、いつか渋谷に泊ってた時に、兄さんがあたしと雪子ちゃんを道玄坂の焼鳥屋へ誘うてくれはりましてん。そしたら、焼鳥のうちはよろしゅおましたけど、しまいに食用蛙を殺して焼くねんわ。その時蛙がぎゃッと云うたんで、二人とも青うなってしもて、雪子ちゃんはその晩とうとうその声が夜じゅう耳について、……」
「ああ、その話止めて、――」
雪子はそう云って、もう一度しげしげと蝦の肉を透かして見て、「おどり鮨」が躍らなくなったのを確かめてから箸を取った。

御馳走と云っては手料理の野菜が主であったけれども、それが大変おいしく、味噌汁の身に入れてあった小芋と、煮付けの蓮根が殊に美味であったこと、などを覚えているのであるが、義兄の姉に当るその家の女主人が、今では未亡人になっていて、気軽な身分でもあるせいか、幸子の次の妹の雪子が未だに結婚もせずにいる噂を耳にし、何とか良い縁を見付けて上げたいと云っているのだと云うことは、かねがね聞いていないでもなかった。

「−−−この陽気やったら、早うせなんだら御馳走の味が変りまっせ」
彼女がそう云っている暇に、妙子はもう立ち上って網棚の上の籠だの風呂敷包だのを卸していた。
「こいさん、出し巻の玉子、どうもなってえへんやろか」
「それよりクラブサンドイッチが怪しいで。この方を先に開けよう」
「よう食べるなあ、こいさんは。さっきから口を動かし続けやないの」

「それでは、何もございませぬけれども、−−−」
と、常子がその時沢崎の膳の前に坐って、青九谷の銚子を取った。今日は手料理と云うけれども、膳の上の色どりは、大垣あたりの仕出し屋から取り寄せたらしいものが大部分を占めていた。幸子は実は、暑い時分のことではあり、こう云う風な生物の多い、而も田舎の割烹店で作るお定まりの会席料理などよりは、この家の台所で拵える新鮮な蔬菜の煮付けの方が食べたかったのであるが、試みに鯛の刺身に箸を着けて見ると、果して口の中でぐにゃりとなるように身が柔かい。鯛について特別に神経質な彼女は、慌ててそれを一杯の酒と一緒に飲み下して、それきり暫く箸を置いた。見渡したところ、彼女の食慾をそそるものは若鮎の塩焼だけであるが、これはさっき、未亡人が礼を云っていたところから察すると、沢崎が氷詰めにして土産に持って来たものを、この家で焼いて出したので、仕出し屋の料理とは違うらしい。
「雪子ちゃん、鮎を戴きなさいな」
幸子は自分が気の利かない質問をしたのが因で、座を白けさせたことを思うと、何とか取り繕わなければならないのであったが、沢崎には寄り着きにくいので、仕方なく雪子に話しかけた。が、最初から一と言も物を云う機会がなくて、じっと俯向いてばかりいた雪子は、
「はあ、......」
と、纔かに頷いただけであった。
「雪子さんは、鮎がお好きなのでございますか」
と、未亡人が云った。
「はあ、......」
と、雪子がもう一度頷いたあとを、幸子が受けて、
「鮎は私も大好物なのでございますが、妹は私以上に好きなのでございまして、......」
「まあ、それは宜しゅうございました。本日はほんとうに田舎料理で、何もお口に合うようなものがございませんので、当惑致しておりましたが、沢崎さんからこの鮎を戴きましたので、......」
「こんな田舎におりますと、こう云う見事な生きのよい鮎を戴くなんて云うことはめったにございません」
と、常子が口を挟んだ。
「−−−而も沢山氷詰めにしてお持ち下さいまして、さぞお荷物でございましたでしょう。これはどちらで獲れました鮎でございましょうか」
「これは長良川で、......」
と、沢崎はだんだん機嫌を直して、
「昨夜電話で頼んで置きまして、先刻岐阜の駅で汽車まで届けさせたのでございます」
「それはまあ、お手数をお掛け下さいまして、......」
「お蔭で初物が戴けますわ」
と、未亡人の尾について幸子が云った。

たとえば御飯のお数なども驚くほど質素で、晩の食卓にもお吸物の外には野菜の煮き合せのようなものが一品附くだけで、啓坊も看護婦もあたしも皆同じものを食べたのである、お春どんが時々見かねて、西宮の市場から天ぷらだの蒲鉾だの大和煮だのを買って来てくれることがあったが、そんな時には啓坊もお相伴に与っていた、

食事は恐るべきもので、毎日私達は黒パンと、チーズと、バタと、「ボルシュ」と称する野菜スープを貰ったに過ぎません。私達は日がな1日骨牌やチェスをして過し、クリスマスイーヴには蠟燭をつけて、平日通りパンとバタとを食べました。

 谷崎潤一郎著『細雪』より