たべもののある風景

本の中で食事するひとびとのメモ帳2代目

林真理子『ミルキー』

些末なことだが、会話の中で「カレーライス」とは言わないよね。
でも、中学校で美術の先生と理科の先生が結婚することになって、異動が決まったほうの先生が朝礼で挨拶に立ち、「みんなの目が三角形になってるんだけど...。XX先生(お相手)とはパチンコに行ってカレーライスを食べました。それだけです」と言ったのを妙に覚えているのよ。

公立校では教員が職場結婚したら必ず1人が他校に飛ばされるのが決まりだった。20年前は裏口が問題になるほど激戦だった教採だが今の日本はすっかり教員不足とのこと。異動などやってられないんじゃないだろうか。少子化なのに教育を舐めてバカな話だよ...。

イヴということもあって、四角いケーキの箱が山積みになっていた。アルバイトらしい若い女の子が声を張り上げている。
「クリスマスケーキいかがですかァ、クリスマスケーキ、いかがですかァ」
永沼は箱の前に立った。苺と生クリームを使ったタイプのもと、チョコレートを使ったものとの2種類がある。永沼は苺ののったいちばん小ぶりのケーキを選んだ。
(中略)
あの頃息子は育ち盛りだったから、ケーキの箱はもっと大きかった。美也子が自家製のケーキをつくった時もあったが、息子は素朴な手づくりよりも、派手なデコレーションの方をずっと好んだのだ。
(中略)
「これ、買ってきた。そこらのものだからたいしてうまくないものかもしれないけれど」
「まあ、ありがとうございます」
美也子はケーキをまるで花束のように受け取った。
「これは後でいただくとして、私、クリスマスだからミートパイを焼いてみたの。いかがかしら」
「ありがとう、じゃ、いただくよ」
ミートパイは永沼の好物である。美也子はヨーロッパ仕込みの香辛料のきいたうまいものをつくった。パイの他にサラダとちょっとしたオードブルもあり、クリスマスだからといって美也子は赤ワインの栓を抜いた。
(中略)
自分たちは離婚の話し合いのためにここにいるのではないか。クリスマス・イヴを共に祝い、パイとワインを楽しむためではない。しかしそうはいっても、この部屋がとても居心地がよいことは事実なのである。
永沼は今までの流れで、つい「乾杯」と陽気な声を出した。ワインを口に含む。色から判断したとおり、重たく深味のある味であった。
「うまいな、このワイン」
「でしょう。カリフォルニアワインなんだけど、そこいらのボルドーよりもずっといいわ。お料理教室に来てくれている人で、ワイン業者の奥さんがいて、その人が持ってきてくれたのよ」

何がきかっけか忘れましたが、2人で動物園へ行くことになりました。お昼にレストランへ入り、カレーライスを食べました。
(中略)
あの時連休ですごく混んでてさ、やっとレストランの席を見つけて、カレーライスを食べたじゃないか。タネはまずそうに食べて、実際にものすごくまずいカレーで、オレも食べてみてこりゃダメだと思った。タネは最後まで少しも楽しそうじゃなくて、オレはもうこれで駄目だと思ったね。
あら、そう、まるで憶えていないわ、と私は答えましたが、これは嘘です。鈴木君がカレーでいいねと言った時、私は暑いのととても疲れていることもあって、鈴木君のことを何と気がきかない、センスのない男だろうと思ったのでした。

「今度、朝子さん食べに来てくださいよ。居酒屋っていっても、フライ定食とかおでんもあって、家族連れも多いんですよ。この頃の親って、自分たちはビール飲んで、子どもたちにトンカツ食べさせたりするんです。朝子さんが来てくれるならご馳走しますよ」
(中略)
彼は朝子を見ると大層喜び、座敷の奥の上席へ導いてくれた。
「ゆっくりしていってくださいよ。うちのヤキトリはおいしいから、絶対にオーダーしてください」

老舗ぶることもなく、綺麗な店内でほどほどの値段の鰻を出してくれる。そして最近の店のように、刺身や酢の物をやたらつけてコースにし、値段を釣り上げることもないのも、久美子は気に入っている。
午後の2時を過ぎていたので、客は4分の入りというところか。久美子は隅の奥まった席を選び、三角巾と白上っぱりという、古風なウエイトレス姿をした若い女にビールを注文した。
「それとお新香を二人前ね。ねえ、鰻重でいいかしら。白焼きはどうする」
どうでもいいと、久野英二は言った。
「あんまりオレは食べられないから」
「じゃ、白焼きはやめて、鰻重だけでいいわ。特上ね」
久美子はビニールコーティングしてある品書きを、店員の手に戻した。暑さのためか、鰻の脂のせいか、それはぬるりと湿っている。久美子は運ばれてきたおしぼりで丁寧に両の指を拭った。
(中略)
やがて鰻重が運ばれてきた。プラスチックではない漆の蓋をとると、飴色の鰻がふっくらとした肌を見せて敷きつめられていた。箸で押さえると、見えるか見えないかのかすかな湯気をたてる。
「まあ、おいしそうよ」
久美子は、ねえと、男を見上げた。嫌な会話の最中でも、食べ物が前に出てくると久美子は相好を崩す。
「もうこの店でも天然物は出さないっていうけども、やっぱりいい鰻よね。ほら、かおりがまるで違うもの」
「よかったら、オレのも食わないか」
英二が重箱を前に押し出した。
「悪いけど、オレ、ビールで腹がいっぱいになっちゃったよ」
「このくらい食べなさいよ。ビールだけなんて絶対に駄目よ」
いつのまにか叱るような口調になっている。
「鰻が好きかどうかっていうのは、その人の生命力のバロメーターなんですってよ。私、誰かが言っているのを読んだわ。男たるもの、鰻をぱくぱく食べる元気がなきゃ駄目なのよ」
(中略)
「よかったら、オレの分、食べてくれよ」
「そんなに食べられるはずないじゃないの」
ぷりぷり答えながらも、久美子はこの鰻を折詰めにしてもらおうか、などと考えている。

「今夜はベイエリアのお店で食事。レインボーブリッジが窓から見えて、ロマンティックなことといったらない。
今夜はおじさま何人かとお食事だけれども、
『僕、わからないからよろしく』
とワインリストを渡される。私の大好きなシャトー・オー・ブリオンの赤、'76年。これを飲むと、とってもロマンティックな気分になるワタシです。ここから見える夜景みたいよね」
「今日は友だちのバースデー。場所は青山に出来たばっかりのキャビアハウス。ここってオープンパーティーの時に、キャビア食べ放題、シャンパン飲み放題で話題になったところ。私は知り合い5人のグループで行ったんだけれども、この一行が飲む、なんていうもんじゃない。次々とシャンパンを空けてどんちゃん騒ぎ。いくらご招待といっても、あれはなかったんじゃないかと反省。シャンパンはドン・ペリじゃなくて、ちょっと通っぽくヴーヴ・クリコだった」

玲子は料理が得意で、本格的なイタリア料理をつくる。いきつけのイタリアンレストランの、料理教室で習ったということだが、家の食卓にリゾットや牛肉のカルパッチョが出てきた時は心底驚いた。
「浩一郎さんは、どんなワインがお好きなのかしら。亜美ちゃん、うちのワインセラーをお見せしなさいよ。といっても、36本入りの家庭用だけれどもね」

浩一郎の遅い日は、必ず実家で食事をし、残ったものを詰めてもらってくる。ローストビーフの端っこだの、びしょびしょに濡れたサラダを出されると、浩一郎はひと言ふた言口にしたくなるのであるが、じっとこらえた。

早く帰ると言ってあった夜に、食事の用意がなされていないことがあった。一度めはピザの出前をとった。二度めは配達専門の鮨を頼んだ。が、三度めに浩一郎はたまりかねて電話をかけた。
(中略)
「冗談じゃないよ。もう腹がぺこぺこだよ。出かける時は、俺のために何かつくっといてくれよな」
玲子には出せない荒い声を出す。
「ピザでもとってくれればいいじゃないの」
「ピザは先週食ったばっかりだ」
「じゃあ、駅前のおそば屋さんにでも、ちょっと寄ってくればよかったのに」

こんな値段でやっていけるのかと心配になるほど安く、焼きソバやオムライスといった軽食も出す。

「ねえ、浩一郎さん。ご実家へのお中元、どうしたらいいのかしら。田舎の人に、あんまり食べつけないものを送ってもいけないと思って。うちはお使いものは、千成屋のチーズケーキって決めてるんだけど、ああいうものを召し上がるかしらねえ」

林真理子著『ミルキー』より